文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

女系容認論「所功」に語るべき思想的背景なし。

たまたま見た、今日の「サンプロ」に女系容認論のイデオローグ「所功」(京都産業大学教授)が出ていたので、いったいどういう思想の持ち主なのか、ちょっと観察させてもらったが、やはりというか、予想通りというか、われわれを納得させてくれるだけの学問的、思想的な蓄積のある人とは見えなかった。「諸君!」3月号に、これまた慇懃無礼と言うか、耄碌寸前と言うか、奇怪な論文を発表した「所功の親分格(仲人?)」の田中卓と同様に、たた単に時の政治権力に迎合し、シッポを振ることだけが得意の曲学阿世の輩の一人としか見えなかった。所功は、「女系容認」「長子優先」という「有識者会議」派の皇統論が形勢不利と見てか、さかんに「男系男子継承」主義、あるいは「男子優先継承」に反対ではないと言い訳を繰り返しながら、「男系男子は困難だから女系容認も今の時代には必要だろう…」というような女系天皇容認論を繰り返していたが、充分に納得できる議論はなかった。所の女系容認論のポイントは、明治憲法下の皇室典範もその時代の要請にあわせて作られたものだから、今の時代にも今の時代の価値観にふさわしい皇室典範への改正があってもいいというよな、いわゆる「時代の要請」論というようレベルのものだったが、これでは思想的にも学問的にもほとんど論ずべき意味はない、と言わざるを得ない。所功の発言の中で注目すべきだと僕が感じたものは、古代日本の「母性崇拝」の思想と、「男系男子」は中国伝来の思想だという発言だったが、それも充分に説得力のあるものではなかった。たとえば、古代日本に「母性崇拝」の思想があろうとなかろうと、それにもかかわらず皇統の歴史が、今まで「女系天皇」主義ではなく「男系男子」主義を維持してきたという歴史的現実を、今ここで、「女系容認継承」へ変更しなければならないと言う論拠にはなりえない。また、「男系男子継承」の思想が中国からの輸入思想、つまり儒教思想の一つだと言うのは半分は正しいが、ならば、なぜ、それ以前も、またそれ以後も、皇統の継承がかたくなに「男系男子」主義を貫いてきたかということの説明には役立たない。一般庶民の家系では、たしかに「男系男子」主義はそれほど厳格に維持されていない。その典型の一つが、血のつながらない他人の家系の子供を養子として迎え入れ、家系の相続を認める「養子制度」である。中国や朝鮮半島では、養子と言っても、「血のつながらない他人の家系の子供を養子として迎え入れ、家系の相続を認める」…ということは少ない。つまり日本人の一般庶民は、「男系男子」主義だけではなく、「血統」という思想さえ、それほど重視していない。にもかかわらず、天皇家だけはそういう日本的な「養子制度」をとってこなかった。何故なのか。そこのところに天皇と皇統の秘密が隠されているはずである。もし、所功等が、今ここで、天皇家の皇統継承においても、日本の一般庶民並みの「家督相続」のシステムを採用すべきだと言うのならば、そのための論理的、学問的な説明をしてほしいものだが、おそらく無理だろうね…(笑)。ところで、所功は、「側室制度」に触れた時、明治天皇大正天皇がともに「皇后の子」(正妻)ではなく、「側室の庶子」であった、とさも自分だけが知っている事実ででもあるかのように、得意げに暴露していたが、そんなことは知っていても口にしないのが日本国民のたしなみと言うものだろう。「あいつは本家の跡取りだと言っているが実は、妾の子供なんだぜ…」なんて、一般庶民でも、公衆の面前で言いふらすようなことはしないだろう。所功の「庶子発言」は常識以前の不敬発言だろう。要するに所功の「女系天皇容認論」には、それほど深い思想的背景はない。ただ時代の要請で、女系天皇もやむをえないだろう…という程度の低次元の常識論でしかない。所功の主著と言ってもいい『皇位継承』や『皇位継承のあり方』という本も読んでみたが、そこには哲学も思想もなく、ただ雑誌論文や新聞記事のまとめと解説に終始するだけの、ただの資料集である。馬鹿な三流学者がよく書く、ツギハギだらけの、うすっぺらな解説書…。どこにも天皇や皇統に関する本質論はない。何が、「平泉学派の重鎮」(笑)だよ…。「平泉皇国史観」とやらが泣くぜ…。

所功は、有識者会議と連動している。その証拠…(↓↓↓)。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai7/7siryou3.html