文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

櫻田淳の「国立追悼施設」擁護論?

年末から櫻田淳という人物の言動に注目してきた。政治評論家であり、且つ、某自民党代議士の政策秘書を勤める人のようだ。前にも書いたが、僕は一度だけ、ごくごく少数の個人的な勉強会で彼の話を聞いたことがある。さて、僕が、桜田氏の言動に注目するようになったのは、昨年末の「女系天皇擁護論」とも取れるような「有識者会議」擁護のエッセイ(産経新聞「正論」欄)を読んで以来である。それまで、櫻田淳という存在は知っていたが、この人の政治的な言動が僕の視界に入ってくることはなかった。したがって数冊あると思われる既刊の著書もほとんど読んでいない。しかし、今回のエッセイを読んでちょつと興味を持った。むろん、その政治的発言に共感したからでも、逆に反発したからでもない。櫻田淳という言論人の中に、権力に追随し、それに依存するだけの典型的な「御用文化人」の姿を発見したからだ。ところで、桜田氏は、女系天皇擁護論的発言の後、保守層から激しい批判に見舞われたようだが、櫻田氏自身はそうした批判に対してまともに反論しようとせず、ダンマリを決め込んでいるようだ。くだらない人身攻撃など無視して、批判を黙殺するのも、それはそれで結構なことだろうが、しかし、ブログではさかんに批判に対する弁明とも取れる言い訳を繰り返している。僕には「負け犬の遠吠え」にしか見えないが、本人はいたって意気軒昂のようだ。というわけで、桜田氏のブログを時々こっそり覗いているのだが、またまたとんでもなく面白い記事を発見した。それは、いわゆる「国立追悼施設建設」を擁護するという記事である。桜田氏が政策秘書として仕える愛知和男代議士の「ポスト小泉は福田康夫の可能性が高い…」というアメリカでの発言を踏まえた上での発言らしいが、きわめて大胆な発言である。むろん、山崎拓福田康夫らを中心とする「国立追悼墓地建設」派を擁護することは自由であろう。しかし、「国立追悼墓地建設」擁護論を展開するということは、結果的にそれに反対している保守派言論人の多くを敵に回し彼らの論理を批判することになるわけだから、いやしくも言論人のはしくれなら、自らの思想的立場を明らかにし、論陣を張るべきだろうと思う。今度は逃げないでもらいたいものだ(笑)。ちなみに、桜田氏は「女系天皇擁護論」以来、保守派との思想的決別を明らかにし、その後、「中国擁護論」から「国立追悼墓地擁護論」へと急速度に反保守派的になってきている。彼自身は、自分は一度も思想的軸足を変えたことはないと言いたいらしいが…。はたしてどういうものだろうか。





←西村代議士逮捕は冤罪であり、国策捜査だ…と思う人は、クリックしてね。