文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

桜田淳の「三島批判」を読む。

桜田淳という人には一度だけ会ったことがある。戦後日本に蔓延していた「弱者の呪縛」「弱者の恐喝」という思想的システムを批判するその論理には共感できる部分も少なくない。しかし、彼の政治的分析や政治情勢論の多くには、僕は同意できない。昨日の産経新聞の「女系天皇論」をめぐる論考で、この人の政治的、思想的本質が見えてきたような気がする。昨日も書いたように、この人には根強い「三島由紀夫批判」の感覚があるようだ。別に三島を批判しようと擁護しようとそれは自由だろう。僕も全面的な三島信者、ないしは三島崇拝者ではない。特に作家としての三島由紀夫に関しては、サイデンステッカーが三島自身に向かって、いみじくも言ったように、「三島さん、あなたは、小説は下手です…。あなたよりすぐれた作家はほかにいます…」(笑)という評価に僕は半ば同意する。しかしそれでもなお、僕は三島由紀夫の精神と思考と行動を強く支持する。ある意味では、僕は、三島由紀夫を文学者としてではなく思想家として尊敬していると言っていいかもしれない。ちなみにサイデンステッカーの場合は、批評家としての三島は「小林秀雄以上だ…」という評価である。桜田淳は逆のようである。文学者としての三島は尊敬するが、政治思想家、あるいは政治的な実行者としての三島は許しがたい…というわけである。三島自決に際して、当時の首相・佐藤栄作が言った「気でも狂ったりのか…」という言葉に共感するそうである。また、松本健一(先生?)が近著で(「三島由紀夫二・二六事件」)展開している、「天皇三島由紀夫を徹底的に拒絶した…」という分析と論理を高く評価するのだそうである。要するに、話にならないのだ。これは、単なる極楽トンボの近代主義者の知ったかぶりの感想である。桜田は、一時、三島を熟読したそうだが、そして三島の描いた「日本の美」に共感し、文学者としての三島は尊敬できるそうであるが、文芸評論家のはしくれとしての僕が見れば、これははっきり言って「大嘘」である。断言してよい(笑)。こういう言い方は、ドシロート以下の感想であって、桜田が三島をほとんど読んでいないか、あるいは読んだとしてもまったく読めていないか、そのどちらかだろう。桜田の政治感覚も政治評論もほぼそれと同じレベルだろう。それは、戦後民主主義と共に戦後の日本に蔓延していた凡庸な市民主義であり、近代主義であり、進歩主義である。桜田天皇論が、ロボット学者が主導する「有識者会議」レベルの通俗的天皇論に傾斜していくのも当然である。そして挙句の果ては、今上天皇ともっとも「親しい…」(笑)らしい「臣・小泉純一郎」への賛美で終わるわけだが、何をかいわんやである。要するに、現政治権力へのゴマスリで生きているだけの人なのである。この人は。西村真悟代議士逮捕についても、「西村代議士は、結局、「臣」の立場に撤し切ることができなかった。」というまったくアホらしい感想を漏らしている。以下は、「産経新聞」の「正論」欄の記事である。
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_10fa.html#more




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 ■ 皇位継承は「熱い議論」に相応しいのか。
 「皇室典範に関する有識者会議」(吉川弘之座長)が、「第一子優先による継承」を中身とする答申を提出して以降、皇位継承に関する議論が日増しに熱を帯びたものになっている。現行憲法典上、皇室典範は「国会の議決した」法律と位置付けられ、その改正は国民各層の「公論」のの結果に決することになっている建前である以上、筆者を含め「公論」を先導する責任を持つ多くの論者には、それぞれの所見を示すことが要請されている。「有識者会議」答申は、そのような皇室典範改正に絡む「公論」に一応の形を付与したものと評価されるべきであろう。
 しかし、「有識者会議」答申提出以降の議論の進められ方を前にして筆者が懸念を覚えるのは、こうした案件それ自体が「熱い議論」の対象とするに相応しいものであるかということである。たとえば、女性・女系による継承を容認した「有識者会議」答申の方向で皇室典範の改正が成されれば、早晩、皇統が断絶するという議論が仰々しく行われている嫌いがあるけれども、「有識者会議」答申の意味は、「次の次」の皇位愛子内親王殿下によって継承されると位置付けたことにある。「次の次の次」の皇位が誰によって担われるかは、現時点では誰にも判らないのである。従って、「有識者会議」答申に難色を示す人々は、今後十年の歳月の中で、世に広く受け容れられる「男系男子による継承」の理論の構築を成し遂げなければならない。それは、「伝統」の価値を大上段に振りかざす議論に拠るものであってはならないし、Y染色体云々といった珍奇な議論に走るものであってはならない。そうした議論は、「男系男子による継承」論が受け容れられる余地を明らかに狭めているからである。
 もっとも、筆者は、率直にいえば、皇室の有り様について、あれやこれやと議論することには躊躇いを感じている。筆者は、「何処ぞの馬の骨」に過ぎぬ身上であるので、「皇位継承」を論ずることには誠に畏れ多いという想いを禁じ得ない。前に触れたように、今は、偶々、皇室典範それ自体の改正が「公論」の結果として決する建前である以上、「公論」を担う責任を有する筆者も、それを畏まりながらでも論じなければならない。けれども、皇室典範は、本来は皇室の「家法」なのであれば、それは、「民主主義の手続」から超然としたものであるべきものなのではなかろうか。「国会の議決した」法律という皇室典範の現在の位置付けこそが、きちんと検証されるべき事項なのである。
 筆者は、皇室が、男系男子による継承を維持することに決めたならば、それを尊重すべきであるし、女性による継承、あるいは女系による継承も排除しないと決したならば、それもまた尊重されるべきであろうと思っている。「臣」や{民」の立場からすれば、そうした決定の暁には、財政上、その他の制度上の手当てが適切に講じられるように取り計らうだけである。無論、こうした仕方には、皇室の恣意が働くのを懸念する向きがあるかもしれないけれども、そうした懸念には余り積極的な意味があるわけでもない。
 事実、昭和二十一年元旦に昭和天皇が発した「新日本建設に関する詔書」には、何と記されているのか。「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」。皇室と国民の「相互の信頼と敬愛」の意義を説いた昭和天皇の言葉は、どのように受け止められるべきなのか。そして、今上天皇陛下や皇太子殿下が「相互の信頼と敬愛」に実を与えるべく続けてこられた努力は、どのように心得られるべきなのか。こうした経緯がある限り、皇室がどのような決定を下そうとも、その決定は、国民意識の大勢から乖離したものとはならないし、諸外国に対しても奇異な印象を与えるものにはならないのであろう。
 筆者は、皇室の有り様について、「皇室は、かくあらねばならない」といった窮屈な議論の仕方を歓迎しない。三島由紀夫は、自らの小説の中で「などてすめらぎはひととなりたまひし」という嘆きの言葉を発したことがあるけれども、「天皇は『ひと』であってはならない」と言外に匂わせた三島に類する硬直した姿勢こそは、皇室に相対するに不適切なものであろう。静かに淡々と。そうした姿勢で臨めば十分である。
  『産経新聞』(2005年12月16日付)掲載




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