文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西村真悟と拉致問題

http://nyt.trycomp.net/modules/weblog/details.php?blog_id=127
平成9年2月3日、衆議院予算委員会で、当時新進党の若手代議士だった西村真悟議員が、「横田めぐみ」さんの実名を出して、北朝鮮による拉致問題について質問した。なんと、これが国政の場で議論された始めての「拉致問題」だった。この質問から2ヵ月後に「家族会」が結成されたと言う。ウーン、人の世とは不可解なものだ。今、戦後の日本人が黙殺してきた国家論的な政治感覚と政治思想を大きく揺さぶり、覚醒させようとしている拉致問題、その拉致問題を最初に問題提起した政治家、その歴史に残すべき心ある政治家が、ある意味ではきわめて「ささやかな犯罪疑惑」(?)を理由に逮捕され、檻の中にいる。もし彼が拉致問題に深入りし、拉致問題を政治家としてのライフワークにしなかったら、彼は逮捕されることもなかっただろう。しかるに一方には、その「拉致問題」のおいしいところだけを「いいとこ取り」りし、その成果を糧に人気回復に成功し、今や「わが世の春」を謳歌している政治家もいる。まことにこの世の不条理を実感するこの頃である。というわけで、なんとなく、つぶやきたくなったというわけである。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ……」。…以下は、「電脳補完録別館」(http://nyt.trycomp.net/modules/weblog/details.php?blog_id=127)からの再録である。西村真悟代議士の質問の声を、音声で聞くことも出来る。僕は、鹿児島県薩摩半島の「吹上浜」の近くに生まれ育った。前にも書いたように、吹上浜は、少年時代、海水浴と貝掘りを楽しんだ思い出の地である。小中学校の遠足でもよく出掛けた。その砂浜で突然、神隠しにあったかのように蒸発した若い男女がいた。それが、後に「拉致被害者」として登場してきた増元るみ子さんであり、市川修一さんであった。ちなみに、今、「わが世の春」を謳歌する小泉純一郎総理の父親・鮫島純也が生まれ育ったのも、ここから近い隣町「万世町」である。いずれにしろ、あの吹上浜の沖から異国の工作船が近づき、やがて夕陽を見ていた日本人アベックの背後に回り、あっという間に袋詰めにして、暗い海の彼方へと運び去って行った…と思うと、今でも背筋が寒くなる。もちろんこの拉致事件にも地元に在日朝鮮人の協力者(?)がいた。その家族はそれからしばらくすると、静かに消えた。警察は知っていたはずである。その頃、僕は24、5歳だった。






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平成9年2月3日 衆議院予算委員会
trycomp(2005/11/286:49 pm)

平成9年2月3日、産経新聞と雑誌「アエラ」が初めて横田めぐみさんの実名報道をした。そして、その日、国会、衆議院予算委員会で当時新進党西村眞悟議員が、金賢姫の本を朗読しながら、横田めぐみさんの実名を出して質問をした。この質問から約2ヶ月後、家族会が結成される。


西村眞悟委員 
次に、私は、これは質問ではなくて、このような日本人が今日本国政府の助けを待っているのだ、このことを総理の脳裏に刻んでいただきたい、そして今我が国政治がその問題に無関心なら、その方たちの命は本当に相手の自由のままだという問題について、お考えをただしたいと思っておるわけです。
 私がくどくど説明するまでもなく、これは北朝鮮による日本人拉致の問題。現実に北朝鮮秘密工作員として北朝鮮で日本人に訓練を受け、そして日本人の旅券を持って大韓航空機爆破事故に携わり、生還した金賢姫さんの「忘れられない女」という中を朗読しながら、この問題を御説明したい。言っておきますが、金賢姫さんが体力がなくてあのとき死亡していたら、日本人の旅券を持った親子のような二人が大韓航空機を爆破したのだということを反論する手だては、我が国になくなったわけです。読みますと、
 つい最近のこと、軍事境界線を偵察中だった米軍のヘリコプターが北朝鮮領域に不時  着した事件がありました。このニュースを観ながら、事件を処理するアメリカの態度に は、新鮮な衝撃を受けました。
 たった一人の将校を召還するためにアメリカの自尊心をかけ、国民すべてが力をそそ ぐのを見て、私はこのことを李恩恵問題と結び付けて考えずにはいられませんでした。
 本名・田口八重子としてその存在を明らかにされた彼女は、
明らかにされたのは、我が国警察当局の本当の努力があるのです。
 日本側のあらゆる努力にもかかわらず、いまでも家族の元には戻っていません。私に対 する日本人化教育が終わったのち、私を日本に派遣する問題が本格的に論議されはじめ た一九八五年の夏、彼女は突然姿をくらましてしまったのです。
 辛光洙という北朝鮮工作員が韓国に侵入し、当局に捕まった、
これは八五年のことでございますが、
 ということを指導員の方から聞きました。辛光洙は、日本で中華料理店のコックとして 働いていた原勅晁という日本人をあらかじめ北朝鮮に拉致しておいて、この人物に変身 して日本で活動していたのです。辛光洙が韓国に侵入したところを逮捕されて、その一 件が韓国で発覚したということでした。
この辛は、今韓国の刑務所におります。
 この原勅晁もまた、過ぎゆく時間のなかで日本国民の脳裏から消え去ってから、かなり の歳月が流れています。
 もし、田口八重子や原勅晁が一般大衆から愛される人気者や著名人だったら、日本人の みなさまはどうなさったでしょうか。
 一日一日を一生懸命生きていく平凡な人間を、一人一人大事に扱ってくれる社会こそ、 真の自由な民主主義社会だと私は考えます。
 田口八重子の召還のために日本のみなさますべてが気持ちを一つにすれば、たとえ李 恩恵の存在自体を否定している北朝鮮であっても、彼女を日本に送り返さざるをえない でしょう。
これは、日本人が拉致されて、北朝鮮が全くその存在を認めない、そして、彼女たちは確かにいるという証言でございます。
 象徴的な例、これは名前を出しても、韓国で身柄を拘束されて、その裁判の中で名前が出ましたから、今、原さんを拉致した辛という人は。原さんは八〇年六月、辛により拉致されました。私の選挙区の近くの京橋の中華料理屋のコックをしておりました。原さんが拉致されたのは八〇年六月です。八五年に辛が捕まった。その中の、向こうの、韓国の裁判にあらわれたのは、結局、自分が拉致したんだ、そして完全に原に成り済まして、その原のパスポートを持って日韓を往復して、そして韓国でスパイとして捕まったということでございます。
 李恩恵は、日本警察の努力によってその田口八重子という存在が明らかにされたところ、御承知のとおりでございます。
 このほかに、人数はわかりませんが、一九六三年、石川県で漁民三名が行方不明、これは船だけが空で帰ってきました。一九八七年、北にいるとの手紙があった。七四年、文世光事件。これは、日本人のパスポートを持った在日韓国人が朴大統領の奥さんを射殺した事件です。もし文世光が射殺されておれば、日本人がやったということしか残らなかったわけです。それから、七七年九月には三鷹市の久米さんが能登で拉致された。
 そして、ここで私は質問主意書を、横田めぐみという一人の十三歳の少女が拉致されたむごい事件に関して質問主意書を提出しております。一月二十三日に提出しまして、本来ならその回答を待ってこの予算委員会で御質問するのが筋でございますけれども、政府の方から延期してくれと言われて、まだ回答を得ておりません。どうか、この前向きな回答をいただきたいわけでございます。ひとこれはもう一度、金賢姫さんの「忘れられない女」の中に紹介されております。私もそれに気づきました。この二百二十二ページ。
 そんなふうに話をする招待所のおばさん
招待所というのは収容所のことです。その
 おばさんの純朴な顔には、見るも哀れ、聞くも哀れだという同情の表情がうかがえた。 そして、拉致されてきた人の話は一つや二つではなかった。
 ある人は、連れてこられるときから強く反抗したために、北朝鮮に着いたときには満 身傷だらけの姿であった。
 ある日本の男性は、とても心がきれいで大工仕事をよく手伝ってくれたという。
 またある日本人女性は、北朝鮮で外国人男性と結婚させられたという。
 ある日本人夫婦は、海辺でデートを楽しんでいたところを拉致され、
 また、
これが横田めぐみさんだと思う。
 また、拉致された人のなかには、まだ高等学校に通っていた少女もいたという。その 女生徒は金持ちの娘だったのか、自分のものを洗濯することさえできなかったという。
 いまは名前も顔も思い出せない招待所のおばさんたちから、拉致された人たちの身の 上話をあまりにもたくさん聞かされたが、いったい、党は何の目的で外国人を拉致して きたのかその理由はわからなかった。いずれにしても誘拐であれ拉致であれ、ともかく このように北朝鮮に連れてこられた外国人が、日本人をはじめとして相当数いるということはわかっていた。
 私の考えでは、一九七〇年代後半に対南工作に外国人を利用せよという金正日の指示に従って、外国人拉致が本格的に推進されたようである。
 そんな話を聞いても、当時の私は、人間的には彼らを哀れに思ったが、常に賢明な党 がよく考えたことであり、また党が偉大な祖国統一の課業を達成するためにおこなって いることだから、そんな犠牲は取るに足らないものだ、と考えていた。
 いまになって振り返ってみると、北朝鮮は罪のない無事の人たちを拉致して苦痛のなかで死へと向かわせる、許すことのできない馬賊の集団とも思える。
この高校生もいたというのが横田めぐみさんでございます。今三十三歳になっておられる。なぜわかったかと言えば、これが最近わかった。北朝鮮から亡命した工作員が、十三歳の女の子を拉致したらしい。その子は頭のいい子で、バドミントンのクラブの帰りしな、工作員が脱出しようとするのを目撃したので連れて帰った、朝鮮語をしゃべれるようになればお母さんに会わせてやると言われて、一生懸命勉強した、しかし、十八歳ごろになってそれがかなわぬこととわかり、病院にそのとき入院していた。その証言と、バドミントンの帰りに拉致されたという日本の新潟日報の記事が、見事に符合しているわけです。

 きょう、アエラ、また産経に実名が出ました。私も相当悩みましたけれども、そういうマスコミに出た以上、実名を申し上げ、実名を申し上げる以上は、どうかこの問題に、総理大臣、国家の、本当の民主主義国家の正統性の証明でございます、自国民を保護するということ、これに重大な関心を示して取り組んでいただきますようにお願い申し上げる次第でございます。御所見をお伺いしたいと思います。


平成9年2月3日 衆議院予算委員会





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