文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西村事件と植草事件の類似性と差異性

西村真悟代議士逮捕事件で、すぐ連想したのは植草事件だった、という人少なくないだろう。植草一秀早大大学院教授が、品川駅階段(エスカレーター)で、手鏡を使って女子高生の下半身を覗いているところを、現行犯逮捕されたという事件である。植草氏は、犯罪を認めるならば穏便に済ませるという警察側の誘導尋問にひっかかり、一時は犯罪事実を認めたらしいが、しかし事件はマスコミに漏れ、植草氏は、痴漢罪を犯した破廉恥なタレント教授として時の人となる。植草氏が無罪と不当逮捕を主張したにもかかわらず、警察側は一方的に植草氏の私生活や趣味に関する秘密情報を流し続け、結果的に植草氏は早大教授の職を失っただけでなく、完全に社会的に抹殺された。ネットや「2チャンネル」等でも、警察情報や週刊誌情報を元に激しい植草バッシング繰り広げられた。植草氏が、当日の行動と状況を詳細に説明して、裁判で無罪を主張したにもかかわらず、誰もそれを信じるものはなかった。破廉恥教授としてのイメージは定着し、植草氏は、孤立無援の裁判闘争を続けていくしかなかった。むろん、エコノミストしての社会的活動は自粛して、引きこもっている状況だった。もはや海外逃亡か自殺しかないのではないか…というまでに追い詰められていたと思われる。しかし、植草氏も、これではいけないというわけで、何らかの社会的アクションを起こそうとしていた。僕が、植草氏と知り合ったのは、そういう頃だった。昨年末の今頃である。ある代議士勝手連の忘年会であった。その後、僕は、社会的活動を自粛していた植草氏に、裁判闘争だけでなくエコノミストしての社会的な活動も再開すべきだ、それが裁判闘争にも役立つはずだ…、ということで、僕も関係する某勉強会での講演を依頼した。植草氏は躊躇していたが、結局、引き受けてもらい、講演は実現し、それが植草氏の再活動の始まりとなった。それから植草氏は、エコノミストとしての仕事を秘かに再開し、目立たないところで活動し始める。週刊誌が、それを、「痴漢教授が恥ずかしげもなく活動を再開した・・・」と揶揄して面白おかしく報道したのはそのころである。あれから、一年が経ったわけであるが、実は、昨夜久しぶりに植草氏に会った。植草氏の「日本経済の現状分析」の講演会が某所で開かれたからだ。植草氏は、見違えるように顔色もよく、エコノミストとしても自信満々で、人間としてもすっかり立ち直っており、小泉内閣批判や竹中平蔵批判など、「これ以上話すとまたやられますから…」と冗談を交えながら意気軒昂であった。裁判は、「50万円の罰金と手鏡没収」で結審しているが、植草氏はまだまだこの裁判闘争は別の形で続けると言う。近く、「手鏡痴漢疑惑」事件の真相を分析し総括する本も出すそうである。この植草事件が、冤罪事件であり、小泉内閣のの経済政策を批判し続けていた植草氏を抹殺するための政治的謀略の一つであったことは、すでに関係者の間では常識になっているが、おそらく未だに警察情報やマスコミ情報を鵜呑みにして、事件の政治的背景や事件現場の具体的な真相、あるいは逮捕を実行した警察官本人のその後の言動…等を知らない人も少なくないだろう。いずれにしろ、植草氏の社会的な復活で、この事件がどういうものであったかが明らかになっていくだろう。「今更、事件の真相が明らかになってもすでに勝負はついているよ…」と竹中某や飯島某なぞは言うかもしれないが、曖昧なままに終わらせるよりはましだろう。それにしても、西村真悟代議士逮捕事件の情報が途絶えているのは、何故か。検察もマスコミも沈黙したままだ。ここが植草事件と違う所だろう。植草事件では、マスコミは、検察情報や警察情報を無批判的に垂れ流し続け、植草教授を政治的に、そして社会的に抹殺することに貢献したのであった。今回の西村事件でも、マスコミは、2、3日は、検察情報を鵜呑みにして大騒ぎしたが、その後、政治的陰謀がからんだ「国策捜査疑惑説」が台頭するにつれ、沈黙し続けている。「さわらぬ神に祟りなし」というわけだろう。それとも、マスコミの方が、すでに西村事件の真相(「国策捜査」と「冤罪」の可能性…)に気づいているのか。だったら、徹底的に権力の謀略を告発しろよ…と思うのだが、それが出来ないような状況になっているんだ世ねえ。敏感な政治家達も、「沈黙は金」と…ということらしい。僕も沈黙しようかな…(笑)。






←やっぱ、西村代議士逮捕は「国策捜査」の可能性が高いなあ…と思う人は。