文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「産経新聞」論説副委員長・岩崎慶市の「論壇時評」を読む。

産経新聞」全体が小泉・竹中一派の強力な援軍であるらしいことは今回の郵政民営化法案をめぐる突然の解散・総選挙の過程でほぼ明確になったが、「産経新聞」論説副委員長・岩崎慶市の「論壇時評」を読むと、産経新聞全体が、もうどうしょうもないレベルまで小泉・竹中構造改革路線のイデオロギーに洗脳されていることがわかる。僕は、ジャーナリストがどんな政治家を支持しようと、どんな経済理論を信奉しようと、そのこと自体を一方的に頭ごなしに批判するつもりも否定するつもりもない。それはお互いに自由である。ただ論争や議論を抑圧し、誰も物言わぬ状況はよくない。ちなみに、小泉内閣の最大の悪は、議論や論争を抑圧し、隠微な方法で言論弾圧、言論封殺を目指していることだ。小泉批判派の学者やジャーナリストがテレビや新聞から追放され、結果的に反小泉的言論人が沈黙を余儀なくされ、それに代わって小泉擁護派の学者やジャーナリストだけが「わが世の春」を謳歌している。むろん異常事態である。それを見て、志の低い学者やジャーナリストが次から次へと「小泉マンセー」に走るのは当然だろう。しかし、今更言うまでもなく、自由闊達な議論や論争こそ国家繁栄の大前提であろう。日本経済が、なかなか平成不況から脱出できない大きな原因はそこにある。それが、論争や議論を好まなず、全員一致の言論ファシズム体制の確立に固執する小泉政権の罪である。というわけで、「産経新聞」論説副委員長・岩崎慶市の「論壇時評(「不断の改革の始まり」)」(10/23)を読んでみた。たとえば岩崎は、こんなことを書いている。

今回の選挙は戦後六十年にして、日本の政治・経済・社会構造の地殻変動が投影されたとみていいだろう。中西(輝政ー京大教授)や野田(宣雄ー京大名誉教授)の懸念も正鵠を射ているが、ここは外交も含めて日本のあるべき構造へ向けた本格的かつ不断の改革の始まりと位置づけておきたい。

手放しで小泉構造改革と小泉一派の総選挙圧勝を絶賛、擁護しているが、これで大丈夫なのだろうか。拉致問題を人気取りに利用しただけの小泉外交だが、こんどは靖国参拝強行の陰で、中韓とどんな外交的な裏取引が行われたのだろうか。小泉外交は、外務省の田中某や経団連の奥田某、あるいは山崎某などが、秘かに密使として走り回る外交だが、国民に何を隠しているのか。人気取りとメンツのための場当たり的な外交に終始しているのが小泉外交であろう。とても、「日本のあるべき構造へ向けた本格的かつ不断の改革の始まり」などとは言えないだろう。

すでに民間経済ではその流れが形成された。木村剛(フイナンシャル社長)の「気がつけば景気回復」(voice)は小気味いい。回復にはマクロ政策でデフレギャップを埋める有効需要をつくり出すべきだとしてきたエコノミストたちへの反撃である。木村は金融再生プログラム作成のブレーンとして散々批判されてきただけに、腹に据えかねているのだろう。景気回復は「デジタル家電だけ」→「東京だけ」→「小泉改革ではなく企業の力」と変節してきたエコノミストたちに対して、その資格を問う。

岩崎は、ここでは、木村剛を絶賛、擁護しているわけだが、これまた大丈夫だろうか。

指摘するまでもないが、日本経済は初めて財政出動なき企業改革で強い構造に生まれ変わった。途方もない資産デフレに始まったギャップをマクロ政策で埋めるなど端からあり得ない議論だった。木村ならずとも、彼等の総括論を聞いてみたい。

ずいぶん乱暴な議論の連続だが、小泉改革擁護派の素直なホンネと経済学的な無知がここに露呈していることは間違いない。ここではケインズ主義的な経済政策が完全に否定され、罵倒されている。ケインズ主義的な総需要拡大論はそんなに荒唐無稽な議論なのか。「途方もない資産デフレに始まったギャップをマクロ政策で埋めるなど端からあり得ない議論だった。」と断言するが、どこにその理論的な根拠はあるのか。知りたいものである。単に土建国家論や「くだばれgnp」と言うようなマスコミでしか通用しない流行思想に洗脳されているだけではないのか。むろん、こういう情勢分析が、論壇やメディアだけでなく、一般国民の間でも、一つの大きな流れを形成していることも否定できない。しかし、そもそもこういう状況分析は正しいのか。僕は大いに疑問だと思うが・・・。






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