文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「内田道路公団副総裁」逮捕の猿芝居を読み解け!!!


ニーチェに「原因と結果の混同」という理論がある。たとえば、こういうことだ。ある出来事(結果)が起こる。すると、人間は、理由不明、原因不明の出来事、つまりただそこにあるだけの出来事に満足できず、不安と焦燥感におそわれる。無意味な出来事に直面し続けることに耐えられないのだ。そして必然的に、それには必ずそういう結果をもたらした原因や理由があるはずだと思考する。その結果どうなるか。それらしい「原因」や「理由」が次々と発見され、そして真の原因と理由とやらが捏造され、人間はそれで満足するのだ。そしてその捏造された原因や理由の分析に熱中することで、不安や焦燥感から解放されるのだ。やはりのそうだったのか、というわけだ。むろん、僕がここで言いたいのは、「内田道路公団副総裁」逮捕劇の「謎」のことである。内田副総裁は「無実」を主張して、頑強に抵抗しているらしいが、おそらく無理だろう。なぜなら、この逮捕劇は「有罪」という犯罪事実と明確な逮捕理由があったから逮捕されたのではなく、最初から「逮捕」そのものが目的だったからである。有罪理由などいくらでも捏造できるのである。逮捕を匂わせる猪瀬直樹の「脅迫発言」に危機感を感じた内田副総裁は、経世会に救いを求めて駆け込んだらしいが、無駄だったようだ。経世会のボスと言われる青木幹夫参議院議員会長は、すでに早くから天下国家を語る資質も能力もなく、派閥ボスとしても骨抜きになっているからだ。青木という政治家は、派閥の維持よりも自分の延命工作に忙しい三流政治家にすぎない。現代日本の政治的悲劇の一つの原因は、こういう無能な三流の田舎政治家が、竹下登元首相の忠実な「秘書あがり」という理由だけで巨大派閥のボスとなり、政界の裏業界に君臨しているところにある。さて、ある朝、逮捕されて、「自分は絶対無実だ…」と言い切れる人間がどれだけいるだろうか。おそらく絶無だろう。だれでも逮捕されたり処罰されたら、自分は何か悪いことをしたのではないか、と反省し、後悔するものなのだ。繰り返すが、その逮捕と言う結果に値する原因や理由があるから反省したり後悔したり、罪悪感に目覚めるのではない。逆である。ニーチェの「原因と結果の混同」理論とはそういうことだ。さて、日本のマスコミは、今度もまた、性懲りもなく、この逮捕劇の政治的陰謀に目をふさいだまま、道路公団の談合体質などを取り上げ、これは税金の無駄遣いだとか、決して許されないことだ、逮捕されて当然だ…などと喚きつつ、原因や理由の追求や分析に忙しい。猿芝居である。この逮捕劇が、「郵政民営化法案否決」への対抗手段であり、造反議員へ恫喝であることは明らかである。今更言うまでもなく、これは何回も繰り返されてきた小泉内閣の政治的陰謀であり、小泉内閣の病的体質そのものである。かつて、韓国の大統領は、引退後は、悠々自適の生活などは決して不可能だと言われていた。次期大統領による「責任追及」が待ち構えていたからである。暗殺か牢獄か、それが怨念と復讐の政治に終始した韓国の政治史だった。むろん、日本にも「怨念と復讐の政治」の時代がなかったわけではない。田中角栄福田赳夫三木武夫の時代を思い起こすまでもないだろう。しかし、日本の政治は、韓国の政界や最近の小泉政権ほど、思想的にも政治的にも堕落していなかった。韓国の政界と小泉政権に共通するものは何か。それは、一言で言えば、「警察権力を行使して、政敵を倒す…」いう「恐怖政治」である。権力者は、この「恐怖政治」という背徳の道に一度踏み込んでしまったらもう引き返すことはできない。革命やクーデターが起こるまでそれを繰り返すほかはない。かつて、ヒットラースターリンという独裁者達が陥った「病気」である。いずれにしろ、政治権力を握っている権力者にとって、政敵を葬り去ることほど簡単なことはない。次々と逮捕すればいいからだ。本人でなくてもその周辺の人物でもいい。逮捕の理由? 考えるだけ野暮である。逮捕理由など山のように転がっている。フランツ・カフカを読みたくなった。





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