文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

猪瀬クン、必死だな・・・(冷笑)

 小泉改革のサポーターというより先導役と言ってもいい猪瀬直樹の言動が怪しくなってきた。いつもの傲慢な強気の発言が影を薄め、すっかり意気消沈して、その発言も弱気の泣き言めいたものか、ある場合には興奮した絶叫調に変化してきた。原因は言うまでもない。小泉改革の本丸とか言われる「郵政民営化法案」が、衆議院はなんとかギリギリで通過したものの、参議院での議決が怪しくなってきたからだ。今朝のテレビでは、青木参議院幹事長とともに小泉のパシリ役を辞任する参議院片山虎之助に対して、「なんとか頼みますよ…」と哀願している始末だ。猪瀬は、公団の談合汚職は「郵政民営化」の必要をますます明らかにした、と言っていたが、この人の政治思想は、結局のところ「汚職批判」と「無駄遣批判」に終始している。猪瀬は政治の本質も経済の本質も理解していない。ある場合には、政治には「無駄遣い」も必要なのだ。それが国家経営というものだ。猪瀬の考えている政治は一使用人の倹約政治にすぎない。いずれにしろ、これからも「小泉改革」に擦り寄り、甘い汁を吸って来たジャーナリストや文化人が、猪瀬直樹テリー伊藤に続いて、次々と焙り出されて、大恥をかいていくだろう。そう言えば屋山太郎という評論家も、造反組を批判していたが、その屋山が、先日、産経新聞「正論」欄に、「靖国参拝問題」に関して、中国批判を書いていたが、その中身はと読んでみるとどう見ても二番煎じ三番煎じの素人以下の作文ではないか。文化人を気取るなら、「素人ブロガー」以下の作文なんか書くなよ、と言いたい。それにしても不思議なのは、猪瀬を初めとしてテリー伊藤やテレビ関係者までもが、「郵政民営化」が当然の正義のように考えているらしいことだ。たしかに小泉構造改革郵政民営化にもそれなりの「一理」はあるだろう。しかしそれが自明の真理であるかのように考えるのは妄想であり錯覚である。ましてそれを前提にして、批判や造反を、民主主義や近代政治の原則に反する暴挙・愚挙だという発言にいたっては、それこそ批判や反論をいっさい許さない言論「ファシズム」そのものではないのか。批判や反論や造反が許されているからこそ民主主義であり近代政治なのではないのか。自民党議員は、小泉一家の使用人でも傭兵でもなかろう。自民党議員がすべて小泉の思いつきの政治思想や改革プランに賛成し、心身ともに一体化しなければならないという発想こそ、政治の堕落であり、政治の冒涜である。「反対すると次の選挙では公認しないぞ…」と脅迫しなければ賛同を得られないような政治運営や政策こそ唾棄すべきであり、排除しなければならない。自民党自民党たる所以は、自民党内部に反執行部的な対抗勢力を抱え込んでいた懐の深さにあった。だからこそ自民党内で政権交代が可能だったのだ。自民党一党独裁の歴史とはそういうものだったのだ。しかし、小泉内閣という弱体内閣は、その弱さの故に「脅迫政治」と「恐怖政治」という禁じ手を多用し、批判勢力や対抗勢力を抑圧し、極端な場合には警察に突き出し、自民党内を「議論なきイエスマンとゴマスリだらけの政党」に堕落させてきた。今回、亀井静香野田聖子、あるいは平沼赳夫綿貫民輔等が、政治生命を賭けて立ち上がった意義は大きい。それにしても猪瀬の言動はおかしい。猪瀬は、国会に参考人として登場した折は、どこかの公団の理事長かなんかを相手に、興奮して「嘘をつくな…」などと、前後の見境もなく絶叫していたが、こいつはいつからこんなにエラクなったのか。たかが「自称・作家」(冷笑)の分際で…。ちなみに猪瀬を作家と思っている人は、たぶん文学関係者では一人もいません。はい。





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