文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■シナ政府の裏切り・・・・・・愛国無罪から愛国銃殺へ。

 5ー4運動記念日の5月4日、シナの反日暴動は、多くの日本人の「期待」(笑)を裏切って、不発に終わったわようだが、驚くべきことにシナでは、その反日暴動の活動家達や民主運動家達が当局に次々と逮捕され、あるいは集会場所を突然に襲撃され片っ端から銃殺されている模様だ。「愛国無罪から愛国銃殺へ」の極端なこの方向転換は、欧米社会で沸き起こったシナ批判や北京オリンピック・ボイコットの動きに影響されていることは確かだが、しかしそれだけではなく、シナ政府内部の路線対立や主導権争いもからんでいるようだ。いずれにしろ、反日暴動が反政府暴動に発展する前に強権を発動したのだろうが、その極端な転換には、ヒットラーの「親衛隊虐殺」の例が思い出される。三島由紀夫の『わが友ヒットラー』では、ヒットラーは「右を切り左を切り」「政府は中道を行かなければならない」と語るが、政府の煽動に操られて反日暴動に踊り狂うシナ国民こそ哀れである。シナ共産党からの脱党も日増しに増大しているらしい。シナ国民よ、反日暴動をやるなら、もっと徹底してやってくれ…、とでも言いたいところだ。

以下引用。    


大紀元5月5日】4月上旬から中国の深センに始まった反日ブームは、速やかに広州、上海、北京、成都重慶など中国全土に広がりを見せたが、政治的示威運動から当局の管理下に置かれたと考えられている。ある政治目的が達成された今、当局は厳しく反日デモを禁止し、取締りを強めている。当局の政治目的により興された民間反日組織は、最終的に政治の犠牲者になったわけである。調べによると、3大民間反日組織は、4月25日、26日の二日間、それぞれ当局に弾圧され、リーダーらが逮捕されたという。特に「中国民間反日聯合同盟」が、4月25に各地の主力メンバーが深センで集会中、当局に粛清され、死者を出したらしい。現在当局は、流血事件について箝口令を敷いている。

反日デモが始まった直後、民間において三つの大きな反日組織が設立された。ネット上の「中国反日同盟」は、4月4日に設立され、4月25日に解散された。6人の設立メンバーが逮捕され、幹部らも多数拘束された。4月7日に成立した「中国保反日同盟」は、4月26日解散され、代表者が逮捕され、幹部らは警告を受けた。4月10日にネット上に設立された「中国民間反日聯合同盟」の解散が特に重大だ。同組織は、北京、上海、広州、深セン成都瀋陽支部を持ち、民間会社の資金援助まで受けたという。各地からの主要メンバーらが、4月25日に深センで集会中、当局から流血の粛清を受けた。目撃者によると、パートカー4台と私服警察11人が集会場所に突入後、銃声が聞こえ、短時間の閉鎖後、大型のトラックが到着、現場から白い布が被せられた担架17基がトラックに載せられた。全員が現場を去った後、血だらけの現場は封じられた。数日後、深セン、上海、北京、成都、広州、瀋陽各地から当局に粛清された情報も流出したが、4月25日の流血事件に関する情報は厳密に封鎖されている。三大民間組織が粛清された後、ほかの民間組織と、ネット上の反日組織も相次いで壊滅させられた。
(05/05/05)   

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