文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■「三田文学」廃刊のススメ。

dokuhebiniki2005-04-24

 昨夜は、三田文学の新人賞授賞式に出席。会場を例年通りキャンパス内の記念ホールかと思って行ってみると誰もいない。日程をまちがえたかな、と思って案内状を見ると、今年の会場は学外の三田飯店になっている。時間も過ぎているので、あわてて幻の門から降りようとすると、あたらしく出来た「門」のゲートが厳重にロックされ閉まっている。しかたなく坂道を登り南門にまわる。かなり大回りしてやっと三田飯店に着くと、すでに授賞式ははじまっていた。今年は椅子が並び、出席者が多いのか少ないのか知らないが、ほぼ全席が満席になっている。実は僕は、出席カードを出していない。まずいな、と思いつつ、仕方なく前のほうの二列目の椅子に座る。前には受賞者とおぼしき和装の女性が一人座っている。今年の受賞者はというと、例年通り、塾出身の若者達だったが、たまたま国文科の松村教授の教え子ということで紹介された村松真里さんという女性の受賞者、つまり僕の前に座っていた和服姿の女性と話をする機会があった。「にもかかわらず信仰する…」という時の「にもかかわらず…」という言葉にこだわっていると言い、いろいろ紆余曲折はあるだろうが、自分は、「にもかかわらず書いていくだろう…」となかなか辛らつそうで、印象的な面白い挨拶を、下を向きながら、しかし論理的にした人であった。鎌倉できもの店を経営しているという和服姿のまだ若いお母さんも途中から参加し、足立康さんらとしばらく雑談した。僕は、三田文学には批評性というものが欠如しているとかねがね思っているので、その挨拶から伺われた村松さんの辛辣な批評性に期待すると話す。一見すると大人しそうな女性だが、なかなか芯の強そうな女性だ。大学院を出て慶應の高校の教師をしているらしい。期待していいのではないか、とふと思う。さて、三田文学も、復刊して何年になるのだろうか。高橋昌男編集長の下に塾本部からの莫大な資金援助でスタートしたのは? むろん、僕が本格的に物書きとしてスタート出来たのも、このときの三田文学復刊があったからだ。その後、僕は、一貫して三田文学を自分のホームベースとして書き続けけてきた。編集長が変わるたびに、その人間関係や文学論に振り回され、離れたり復帰したりを繰り返してきたが、復刊後の三田文学に、内容はともかくとして、継続的にもっともたくさん書いたのはおそらく僕だろう。われながら、よく我慢して書き続けたものだ。僕は編集にかかわったことは一度もないが、現在の三田文学には、執筆者の一人としてもっとも深く長くかかわってきた、と言っていいと思う。それを、「心よからず…」思っている人も少なくないだろう。いずれにしろ、三田文学にかかわったこの何十年間は、僕にとっては忘れられない貴重な時間であり、また三田文学という場所は貴重な場所だった。もっと具体的に言えば、その頃生まれた子供が、今は慶應の経済学部の塾生となっている。今、三田文学の編集を手伝っているのも、僕の息子とほぼ同年代の塾生たちだろう。「ああ、おまえは、何をしてきたのだ、と吹き来る風が言う」(中原中也)。前述の村松さんは、「遠くまで行きたい…」と挨拶を締めくくったが、僕に関して言えば、「思えば遠くへ来たものだ…」というのが正直な感想だ。ところで、当然のことではあるが、いつのまにか三田文学も新しい時代を迎えようとしているようだ。理事や新人賞の選考委員のメンバーにも移動があったらしい。そう言えば、江藤淳田久保英夫をはじめ、最近でも白井浩司、桂芳久と言った三田文学の大先輩達が、亡くなったのもこの雑誌が復刊されてからのことだ。この雑誌がなければこれらの先輩達と親しく接する機会もおそらくなかっただろう。特に今は亡き江藤淳さんとの三田文学パーティでの初めての出会いと突然の別れは、いつまでたっても忘れることの出来ない貴重な、なつかしい思い出だ。むろん三田文学なくして現在の僕もなかっただろう。僕は、いい時に三田文学が復刊され、またいい先輩や後輩たちに恵まれて、本当に幸運だったと思う。ところで、帰りの電車の中で、僕はふと、僕が塾生だった頃、突然廃刊が決まった三田文学の終刊号で読んだ江藤淳の「三田文学廃刊のススメ」というエッセイを思い出した。江藤淳が、なぜ、こんなことを書くのか当時は理解できなかったが、今、なんとなくわかるような気がする。この種の雑誌が、マンネリズムに陥った時、江藤淳のように、「志を失ったら、一度廃刊して、機の熟するのを待つすべし…」と厳しい苦言を言える先輩作家や先輩批評家がいるかいないか、それはこういう重い歴史と伝統を背負った雑誌にとってかなり重要なことのように見えるが…。雑誌を創刊するときは廃刊する時のことを考えて創刊すべきだ、という話も何処かで聴いたことがある。生き恥を曝してまでいつまでも生き延びようとするなかれ…であろう。いずれにしろ、僕もそろそろ親離れし、独り立ちする時だ。老醜を曝す前に静かに消えることにしよう。しばらくこういうパーティに出席することもないだろう。