文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■月刊『自由』の忘年会で・……。

 昨日は月刊『自由』の忘年会だった。今年は、担当の編集者が病気で交代したために早めに会場に到着するように出かけた。霞ヶ関ビル33階の会場に30分前に到着。石原代表に挨拶してから、受付の準備をしている新しい編集担当のF氏を発見。早速、挨拶し、これからの連載の打ち合わせをすました。会場にはまだほとんど人はいなかったが、僕は、去年は時間に遅れてあわてたので、今年はゆっくりしようと思って一人で席につき、出席者紹介表を眺めていた。次第に人が集まりだしたと思っていたら、後ろから背中をたたかれる。振り返ると宮崎正弘さんだった。この忘年会の常連で、いつも会う人だ。立ちあがって挨拶する。実は、この雑誌との縁も「三島由紀夫研究会」の幹事を勤める宮崎さんの紹介から始まっている。僕にとっては論壇関係では唯一の知り合いだ。しばらくしていると右隣の席に立派な紳士が座る。石原代表が飛んできて挨拶している。さかんに前の方の席を勧めているが動かない。突然、僕の左隣の人と野球の話を始める。「僕は旭丘で井手とバッテリーを組んでいた。」と。それから「新治が……」、と東大野球部の話。実はこの人はゼンセン同盟議長の高木氏だった。名刺交換して最近の労働組合や労働運動のことを質問する。僕は、労働組合の弱体化が「小泉悪政リストラ内閣」をいつまでも延命させている元凶ではないか、と問う。高木氏は笑いながらうなづいている。最近の若者は、目先の小さな利益ばかりを追求し大きな目標を見失っている。いわゆる「知・情・意」の「意」が足りない、それを教えてやらなかった世代も悪い、と高木氏は言う。まったく同感。中国人女性歌手の「イエーライシャン」等を聞きながら、忘年会の終わりまで話しこみ、すっかり意気投合し再会を約束する。拓大の池田教授に挨拶して帰ろうとすると強引に二次会に誘われる。まだ時間が早いので、誘われるままに新宿へ。ところが、この二次会の席でも、なんと高木さんの隣に。明朝5時には海外出張だと言っていた宮崎さんも登場。かなり酔っている模様。「なんで山崎がここにいるんだ・・…」と突然、問われ、恐縮する。しかし宮崎さんはその後ですぐに僕との「なれそめ」を披露してくれる。その後、池田教授に誘われて、もう一軒はしご。ロシア関係に詳しいママのいる店だったが、その店の名前も場所も記憶にない。最終電車で帰宅。