文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■小谷野敦レベルの「オオバカ」につける薬はない。


 たまたま最近、学生に教えられて小谷野敦の『評論家入門』という本を読んだ。実はそこに、僕が、江藤淳の博士論文をめぐって、作家の大西巨人と行った「論争」が取り上げられていたからである。この本は、いかにも小谷野敦というインチキ評論家の愚鈍な知性を露呈した頓珍漢な駄本である。小谷野は、僕のことだけでなく小林秀雄柄谷行人のことまで罵倒しているが、よくもこんな無知蒙昧な文学音痴が文壇や論壇で生きていられるものだと思う。さて、大西巨人は、江藤淳の「死後」、柄谷行人との対談(『群像』2000年1月号)で、江藤淳が博士論文を母校の慶應文学部に提出し文学博士になったこをとらえて江藤批判を展開した。大西曰く、「自分(江藤淳)は偉くなった」「批評家はだめだ。まだランクが下だ」「批評家より学者が偉い」と江藤淳が書いたと言い、「この人間(江藤淳)は全然だめな奴だなと思った」と。それに対して僕は、「江藤淳がそんなことを書くはずがない。書いていたとしたら証拠を見せよ」と産経新聞(2000年1月15日朝刊)のコラム(「斜断機」)で批判した。大西の江藤批判が「風評」の一種であることを僕は知っていたからだ。すると大西は、江藤淳の『なつかしい本の話』を熟読せよと反論してきた。そこで僕は、大西が、江藤淳が博士論文提出のいきさつを書いた『日記から』というコラム(『朝日新聞』夕刊1975年5月12日―24日、連載)を読んでいないということを改めて確認した。実は、日頃から資料や出典にうるさい大西巨人が「初出のコラム」を提示できず、後に収録された本の名前しか提示しなかったところに大西の「嘘」が露呈していたからである。そして、「大西巨人よ、『日記から』を熟読せよ。」と再度、批判したのである。ちなみに、小谷野は、『日記から』を熟読し、「確かに大西の言ったとおりの言葉はない」と確認したらしい。しかし驚く無かれ、小谷野は「そう書いていないが、江藤がその種のことをまったく書いていないなどとはいえない」「つまり山崎の読解力不足、あるいは身びいきである」と結論をくだす。いやはや。これが、東大比較文学科で博士号を取得したセンセイの学問的推論である。言うまでもなく江藤淳は、こういうエセ学問(脳内妄想!)を振り回すインチキ学者を批判しつづけた、文字通り「危険な批評家」だった。
 「学者は自殺しない」(柳田國男)。