文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■マスコミよ、「UFJ事件」の政治的意味を問え。



 先日、UFJ銀行の元副頭取をはじめとする幹部が「検査妨害」という理由で逮捕されたが、この逮捕劇をそのままマスコミ情報どおりに鵜呑みにすることはできない。犯罪者は権力によっていくらでも、いつでも作られる。犯罪事実の捏造などわけはない。そう思わないわけにはいかない。僕は、この日記でも、小泉政権になってから、権力による犯罪者のフレームアップ(一種の冤罪であり、政治的なスケープゴー作りである……)が深刻化している、と何回も書いた。政治家も経営者も、「ムショ送り」を恐れて、「沈黙は金」とばかりにすっかり萎縮して無気力になっている。それを象徴する事件が、このUFJ銀行幹部逮捕事件であろう。何回も繰り返すが、小泉内閣批判には「ムショ送り」の覚悟が必要だ。UFJ銀行の「検査妨害」の犯罪事実をうんぬんする前に、そもそも、なぜ、UFJ銀行に金融庁の検査が入らなければならなかったのか、を考えてみよ。むしろUFJ銀行に問題があったのではなく、UFJ銀行という大手銀行の中では若干、ひ弱な銀行を「標的」にして、この大手銀行を「さらしもの」的に破綻に追いこむことそのものに真の目的はあったのではないのか。マスコミ情報によると、UFJ銀行の失敗は「不良債権処理」に遅れをとった、ということになるらしい。なるほどわかりやすい理由だ。しかし、では、なぜ、「不良債権処理」を急ぐ必要があったのか。そもそも「不良債権」とは何か。小泉内閣の経済運営を一手にに握る「竹中」に問題があるのではないのか。竹中が、その単純な頭で考えた経済政策が、「不良債権を処理すれば日本経済は復活する」という単純素朴な暴論だったからではないのか。不良債権を強制的に処理すればするほど、逆に不良債権が増大していくというジレンマの中で、竹中自身が途方にくれているはずだ。そこからの必死の脱出作として考え出したのが「UFJ銀行つぶし」ではないのか。マスコミは、このところ、金融庁、竹中……に代表される政府サイドを、あたかも悪徳商人を取り締まり、縛り上げる「岡引き」のように見ているように思われる。権力による「スケープゴート作り」という情報操作の罠にまんまと乗せられているマスコミよ、「UFJ銀行事件」を、銀行員のモラルの問題に矮小化する前に、ほかに書くべきことがあるだろう。