文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■国境のトンネルを抜けると……

■2004/09/04 (土) 国境のトンネルを抜けると・・・・・・

青春18キップ」が数枚残っていたので、昨日、友人を誘って、越後湯沢まで「鈍行列車缶ビール飲み放題の旅」に行ってきた。武蔵浦和から出発。川越から高麗川へ抜け、そこから八高線(八王子・高崎間を往復)で高崎へ。
 八高線は緑の山麓地帯を走るのどかな鉄道だ。小さな駅が多い。「毛呂」という駅の前には異様に大きいビルが立ち並んでいる。と思っていたらそれはなんと「埼玉医科大学」の建物だった。高麗川・高崎間に乗るのは初めてだったので、田園風景をおおいに満喫した。
 高崎から上越線で水上へ。弁当を広げ、カンビールを飲みながら、車窓の風景に見とれていると、あっというまに水上温泉に到着。水上は何回か来ている。最初に来たのはいつだったろうか。
 大学生の頃、浦和図書館で本を読んでいた時だった。ふと思い立ち、何の準備もないまま、そのままの姿で谷川岳を目指して水上へやって来た。土合から天神平までロープウエイでのぼると展望台からの眺めはさすがだった。しかし谷川岳の頂上を目前にすると、何の準備もせずに飛び出してきたことを思い出し、さすがに足がすくんだ。仕方なく裏側の登山道を水上方面へ下山した。
 その時の体験が忘れられずに時々水上まで来る。しかし、そのたびに街がさびれていくのが淋しい。しかしそのさびれていく水上温泉を見るのも僕は嫌いではない。
 谷川にかかる吊橋は老朽化のため通行禁止になっていた。新幹線の上毛高原駅に客を奪われているのだろうか、今はもう昔の面影はない。
 さて、今回の目的は水上ではない。越後湯沢である。水上で長岡行きの鈍行列車に乗り換えた。いわゆる「国境のトンネル」を抜けて越後の国へ向かう。このトンネルははじめてである。新幹線が出来るまでは、新潟方面の人たちは皆、このトンネルを抜けて東京を目指したのだろうか。
 越後湯沢は、現在は新幹線が止まり、リゾートマンションやホテルが立ち並び、町並みにもなんとなく活気がある。当然のことだが、今はもう期待していたような場所ではなくなっていた。
 帰りに、再び水上へ。列車を一本飛ばして、夕闇に沈むかつての水上温泉街を散歩する。時折、車が通るだけで、人影はまったくない。川向こうのホテルにも明かりはチラホラ。むしろこちらの方が、川端康成の「雪国」のイメージにふさわしい。
 異界はコチラ側にあったのか。
 家に着いたのは午前0時だった。
 
http://www.starweb.co.jp/minakami/cam03.html