■丹羽経済塾の一夜
■2004/08/28 (土) 丹羽経済塾の一夜
昨夕、例の丹羽経済塾に出席。相変わらず元気溌剌の丹羽博士の経済分析と、そしてこれは先月からの延長で、昭和16年時点における日本の国家戦略の軍事的オプション問題に関する斬新な講義を拝聴。その後虎ノ門の喫茶店に場所を移し、さらに大東亜戦争論。丹羽先生と別れてからも新橋のカード下の焼き鳥屋で、出版社社長でノモンハン問題から英語教育論まで、実に博学多才なMさんや、毎回丹羽経済塾に静岡からかけつける会社社長Sさんと軍人論、指導者論。
僕はもっぱら聞き役だった。戦時下にに少年時代を過ごし、軍事マニア少年だったと言う丹羽先生はもちろんだが、戦後派のMさんもSさんも戦争論になると実に詳細な具体的情報を持っているのだ。たとえば爆撃機(潜水艦、駆逐艦…)の機種から飛行速度、素行距離など、あまりにも詳細過ぎてついていけない。
ともあれ、丹羽先生の話は、最近一種のブームになっている昭和軍事論関係の「定説」を厳しく批判することから始まった。
丹羽先生の主張は次の通り。昭和16の時点での日本がとりえたであろう最良の軍事的オプションは、真珠湾攻撃によってアメリカを参戦に立ちあがらせるいう暴挙を避け、あくまでもアメリカの参戦を押さえつつ、「蘭印」(インドネシア)を「保証占領」するというオプションを選択すべきであったというものだ。
これは、アメリカとの正面対決を避けつつ、「abcd包囲網」をかいくぐって石油だけを確保し、国力を維持していく戦略だ。当時のアメリカ政府とアメリカ国民の心理や国際情勢から考えると、日本による「蘭印保守占領」ぐらいなら、国交断絶などの対抗作ぐらいで本格的な日米決戦と言う状況にはならなかったろう、と言う。
実はこれは当時の日本軍部も考えていたが、いつのまにかうやむやに闇に葬られたらしい。山本五十六を中心とする海軍首脳部が、「アメリカとの前面対決―敗戦必死」という「図演」(ウオーゲーム)の結論にこだわりすぎていたためにアメリカの国内情勢やアメリカの軍事戦略が読めていなかったのが原因だ。「蘭印保守占領」でもアメリカは日米全面戦争に立ちあがると「予想」していたのだ。
そこで、山本海軍は、日米決戦が不可避なら、アメリカの心臓部へ直接攻撃をしかけよう、という最悪の選択をしてしまったのであった。
おそらく蘭印の保証占領ぐらいなら、アメリカは戦争に踏み切れなかっただろう。