文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

■川村湊氏の「伊藤整賞受賞」を祝う会

 昨夜は、文藝評論家・川村湊さんが伊藤整賞を受賞したことを祝うパーティーが、市ヶ谷のアルカディアであった。100人全後の人が出席し盛況だったが、いつになくなつかしい顔が多いのに驚いた。僕は、文壇関係には語るほどの人間関係はないが、それでも随分なつかしい顔を発見し、お互いに歳をとったものだなあ、と感じたのだった。
 30代に、批評研究会というものに参加して川村さんとは知り合ったのだが、その頃からの知り合いが多い。岩佐荘四郎もそのころの知り合いだ。研究会が終わると新宿のゴールデン街に連れていってくれて、いろいろな秘密の怪しげな場所を教えてくれたのが岩佐荘四郎さん(現・関東学院大学教授)だった。そしてその時、岩佐さんが「愛弟子」のように連れ歩いていたのがまだ早稲田の学生だった「重松清」だ。その後直木賞を受賞し今や飛ぶ鳥を落とす勢いの重松清だが、その頃はともに路地から路地へと岩佐さんの後をついて歩いたものだ。
 その岩佐さんと会うのも随分久しぶりだった。大隈会館で行われた岩佐さんの出版会以来のように思われる。顔はすぐにわかったが、初めは「岩佐」という名前が思い出せずあせった。岩佐さんは、今は穏健な国文学研究者だが、昔はかなりの豪傑だったらしい。その岩佐さんをモデルにしたような小説が三田誠広氏の『愛の行方』である。と、教えたら、是非読みたいと岩佐氏は喜んでいた。
 作家の宮内勝典さんと会うのも久しぶりだった。宮内さんとはホームページの話で盛り上がった。鹿児島の高校の先輩なので、政治思想などはまったく相反しているのだが(右と左?)、そんなことは問題にせずに、いつ会ってもやさしく話し掛けてくれる。ありがたいことだ。そこへ坂上弘さんが近づいてきたので、宮内さんを紹介する。実は、坂上さんも鹿児島で中学時代を過ごしているので、その話をすると宮内さんはびっくりしていた。
 鹿児島つながりが出来たところで、長州出身(山口県下関)の坂本忠雄さん(元「新潮」編集長)に呼びとめられて、近づいていくと、しきりに「薩摩は一人一殺だよ。一人一殺でがんばれ。」と励ましてくれる。批評のスタイルのことらしい。そこで僕は白洲正子邸見学の話をする。ついでに白洲正子の祖父・橋口某は薩摩藩士で「テロリスト」だったという話なども。坂本さんは「僕は長州だよ。」と近くにいた金子昌夫さんに自慢していた。新「薩長同盟」でも?