文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

長崎事件ー現場責任者(担任)が職場放棄してどうするのか。

 長崎事件のテーマは、ネット批判から家庭問題、あるいは学校当局の問題に移行しつつある。むろん、最終的にはこの少女個人の問題に帰着することは当然だが、その前に現場の責任者を徹底的に追及するべきだろう。ネット批判と言うような抽象的な一般論にすりかえることなく、まずは地道に現場責任、当事者責任を追及するのが筋である。
 事件直後、少女の母親は「娘は成績もよくこれまで順調に育ってきた。少し内向的なところがあったが何も問題はなかった」と発言したと報じられた。僕はこの発言は明らかに不自然でありすでに事件を予知していたかのような発言として受け取った。過剰に防衛的な発言だったからだ。
 報道を信じるならば、この母親は家庭でも職場でも「しっかりもの」だったらしいが、しかし娘がイジメられたりするとその同級生の家に怒鳴り込むようなこともあったらしい。おそらくこの少女は、本人も自覚できないままに母親への不満と怒りを鬱積させていたはずだ。この母親は、事件後の最初の娘との面会の席でも泣くばかりで一言も声をかけなかったようだ。気の毒だが問題は母親自身にあったように思えてならない。
 事件直後、校長が「明るいいい子だった。こんな事件を起こすとは想像もしていなかった」と言ったが、これも事件後の発言としてはまったく不謹慎である。校長も実はうすうすこの少女の一連の問題行動を知っていたはずだからだ。校長が事件後、事件の内容について「知らぬ存ぜぬ」で押し通そうとした姿勢にもそれは現れている。明らかに何かを隠そうとしている。
 ところで、少女の担任(30代の男性)が顔を見せないのも不自然だろう。この教師に責任があると言うつもりはないが、現場の管理者としてやるべきことがあるだろう。驚くべきことにこの教師はすべてを女性校長にまかせて残された児童の授業も放棄し、学校も欠勤しているとか。
 小五の時の担任教師(女性)が、このクラスは五年生の時に荒れ、生徒が担任教師に暴力を振るうほどの「学級崩壊」状態であったことを告白している。ちなみに少女はいつもカッターナイフを持ち歩き、事件の10日ぐらい前にも男の子を追い回したと言う。
 むろん、誰にも最終的な責任はない。すべては少女本人の責任だ。
 しかし事件は、学校と言う現場で起こったのである。
 現場責任者が逃げてどうするのか。
 普通の会社だったら引責辞任は不可避だろう。