文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「シニフィアンのたわむれ」としての長崎事件。

 理由や原因や目的のわからない事件に出合うとわれわれはどうするか。衝撃を受け、動揺し、不安になる。いつまでもそういう状態を続けることはできないから、早く答えを見つけて落ち着こうとする。つまり、人は(大衆もマスメディアも……)、手っ取り早く手に入る古いステレオタイプの答えに飛びつき、これが原因であり、理由であり、目的だと解釈し、安心しようとする。
 ソシュールに始まる記号論によると、言語を含む記号(シーニュ)は「シニフィアン」(意味するもの)と「シニフィエ」(意味されるもの)から構成されている。わかりやすく言いかえれば、記号(人物や事件……)は、事件それ自体とその原因・理由から構成されている。
 原因・理由がわからない事件とは、「シニフィアンのたわむれ」(シニフィエがない!!)そのものと言っていい。
 少女は、殺人の理由としてチャットの中の「悪口」などが理由で友人に殺意を抱くようになり、それをカッターナイフを使った殺人ミステリー(テレビドラマ)をヒントにして実行してしまったと白状しているらしい。その告白を前提にして、精神分析医やカウンセラー、教育評論家などが、「チャットの世界は相手の生身の身体や顔の見えないバーチャルな世界だから……」という「すりきれたメタファー」を使った分析を繰り返している。まったくいつまでたっても目覚めないバカ学者の大行進である。
 そもそも、少女の告白、白状の中身に「嘘」や「抑圧」はないのか。
 夏目漱石は、殺人の理由や動機を正確に表現できたらその犯人に罪はない、と言っている。つまり、殺人の動機や理由は本人にもわからないはずなのだ。「世の中に簡単に片付くものはない」と言う漱石は、人間は、ただ「やってしまうのだ」と言う。理由や動機は後から都合よく捏造されるのである。
 フロイトは「抑圧」という概念でそれを説明している。少女は本当の動機や理由をおそらく知らない。心理的抑圧がかかり少女自身がそれを自覚できていない。そこで、「わかりやすい答え」でそれを代行している。
 要するにこの事件の真相・深層は、むろんあらゆる事件がそうなのだが、しばらく時間がたたないとわからない。「動機や理由がわからない」からこそ、誤解を恐れずに言えば「おもしろい!!」のである。わかってしまったら事件ではなくなってしまう。そうなったら大衆もマスメディアも振り向きもしないだろう。