文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

蓮池、地村夫妻に政治責任はないのか?

小泉総理の政権延命工作の一環にすぎない「拉致家族帰国」の政治ショーが、実現するそうである。まことにめでたいことである。さすが小泉さん、と言いたい所だが、ちょっと待ってもらいたい。そもそも、拉致被害者のほんの一握りに過ぎない蓮池、地村の二家族(子供たち)の帰国で何が解決するのか。むしろ問題解決の糸口を閉ざそうとしているのではないのか。何百人もいるという拉致日本人、あるいはすでに死亡したといわれる日本人。彼らを見捨てる結果になるのではないのか。
蓮池、地村両家は、自分の家族だけが平和で幸福な生活を取り戻しさえすればいいというのか。そんなはずはなかろう。
イラク人質事件でもそうだったが、ひとたび「被害者」ということになると「すべてが許される」「被害者の命を救うためなら犯罪者やテロリストの要求を全面的に受け入れることも仕方がない」というような銭後民主主義的幻想(妄想)が未だにわが国のマスコミ、国民の間にはびこっている。むろん個人の人命のために国家の基本理念や政策までもが簡単にネジ曲げられていいはずがない。個人は、その家族や近親者にとっては何よりも貴重であろう。だがそれでもって他の国民や国家の存在が疎かにされてはならない。
さて、蓮池弟(あるいは地村)は、拉致の被害者である。しかし、単なる被害者ではない。彼らは明らかに、一部の行方不明拉致被害者にとっては加害者でもあるはずだ。彼らは、北朝鮮のエリートとして政治工作(つまり日本人拉致の実行行為)に従事していたはずである。彼らだけが、なぜ、「一時帰国」という条件で帰国できたのか。それは、彼らが北朝鮮政府の信頼を勝ち得た「革命戦士(テロリスト)」だったからではないのか。蓮池弟は、いま、単なる被害者を装っている。しかし彼は、今回の帰国グループのリーダーだったはずである。北朝鮮政府の対日本政策の現場担当者だったはずである。帰国当時、北朝鮮のスパイ団が、彼らを執拗に監視していたではないか。本人には、まことに気の毒な話だが、蓮池弟は単なる被害者ではない。蓮池、地村夫妻は、子供たちの帰国後には、北朝鮮において彼らがどういう任務についていたのかを公表するべきだろう。公表しなくても彼らの北朝鮮における政治的思想的役割はいずれ明らかになるだろう。北朝鮮政府の崩壊の暁に……。
いずれにしろ、被害者とはいえ、その政治責任、思想責任をまぬがれることはできないはすだ。要するに、すでに先の見えた小泉無能政権の延命工作の道具にされるべきではなかったのだ。むしろ、こう言うべきだった。「拉致日本人全員の帰国実現なしに、自分たちの子供たちだけの帰国は望まない……」と。彼らは、そう言わなければならない政治的、思想的立場に立っているのだ。
ここにも、戦後民主主義に毒された家族がいる。