文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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慶応義塾大学日吉キャンパス再訪。

慶応義塾大学日吉キャンパス再訪。

  昨日、久しぶりに、慶応日吉キャンパスに行ってきた。入学式で人がごったがえしていたが、かえってそれが幸いして、人ごみにまぎれて、教室の中まで侵入できた。なつかしい40年前の教室がそこにはあった。机と椅子も変わっていないよように見える。階段教室も昔のままだ。机の前にIT関連のスイッチが付け加えられているところだけが違うようだ。
 中庭には、新しい建物が建っているが、右手にあるグランドも、記念館も、高等部の建物もそのままだ。変わったところと言えば、学食と部室用の掘建小屋が消えているぐらいだろうか。銀杏並木も、もっと大きくなっているのかと想像していたが、ほとんど昔のままのように見える。受験直前に、はじめてこの銀杏並木の下を歩いた時は小雨が降っていた。坂道を歩きながら、日本にもこんなにかっこいい場所・空間があるのか、と感動したものだったが・・・。
 思えば、はるけく来つるものかな・・・。中原中也の詩から。

   ああ、お前は何をして来たのだと、吹き来たる風が言う・・・。

 そう言えば、数年前に卒業式に来たことがあった。しかし、その時は、時間がなく、周辺を見る余裕はなかった。
 図書館だった藤原記念館はパソコン教室とラウンジになっている。僕にとっては忘れられない場所だったのだが、ゴミグズが散乱しているのを見ると少し淋しい。昔は、シーーンと静まりかえった神聖な空間だったのに。泥んこだらけの東側のカマボコ校舎はどうなったのだろう。さすがにそこまでは行けなかった。
 人ごみを抜けてグランドへ出る。グランドはまったく昔のままだ。
 グランドの土手に一人で寝転がって、将来、自分はどうなるのだろうと、絶望的な気分で青空を見上げいた頃がなつかしい。
 今夜は、江藤淳の「三田再訪」を読みなおしてみよう。あの頃の僕にとっては、江藤淳池田浩士だけが、一縷の望みを託すべき最後の「希望の星」だったのだ。
 そう言えば、池田先生も今年で京大を定年だったはずだが、忙しさにまぎれて退官記念の講演会にもパーティにも出席していない。何回も連絡をいただいていたのに…。