文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小泉総理の「断固たる決意」が国を滅ぼすということ。

 小泉クン、まだ、わからんの。(笑)
 君は、先日の所信表明演説で、「断固たる決意」を強調したようだが、その言葉の意味を理解しているのか。君の場合は、「断固たる決意」とは、何も考えないと言うことだろう。つまり、何も考えたくないから「断固たる決意」を繰り返すだけであろう。
 人間には良心の呵責とか反省的意識とかあるだろう。誰だって失敗もすれば勘違いもする。予測が外れても、失敗しても、いつも「断固たる決意」ばっかしている小泉君。君には、アタマというものがついとらんのか。自分の政策や仕事の結果を調査・分析して、政策を修正したり、路線を軌道変更したりするのは、政治家や経営者にとっては常識だろう。しかし、小泉クンにはその気配はトントない。いつもいつも、「断固たる決意」ばかりで、相も変わらず馬鹿の一つおぼえのように、不退転の決意で構造改革に邁進します、だと。
 そういうのを、わが塾祖・福沢諭吉先生は、「腐儒」の「惑溺」と言って批判したんだよ。頑固一徹は必ずしも美徳ではない。場合によっては危険極まりないことだ。臨機応変に柔軟に思考し、間違いを改めることに躊躇するなかれ、だ。それが福沢諭吉の実践哲学だった。小泉クン、君の考えは、「馬鹿の考え、休むに似たり。」だ。
 小泉クン、君は、「断固たる決意」ばっかりして、何も考えていなのだろう。考えることがイヤだから、「断固たる決意」ばっかやってるんだよね。おかしくて、涙も出ない。
 そもそもだな。たとえば、「初心」の芸術哲学を説いた世阿弥が言うところの、「所信」、いや、「初心忘るべからず」という言葉の意味は、もともとの意味は、「初心」というものは青年期の慢心による間違いの多いものだから、「初心」にとどまり、「初心」にこだわりつづけてはいけないよ、ということだっだ。「初心」とは悪い意味だったのだ。
 小泉クン、君の「断固たる決意」という言葉のバーゲンを聞いて、この事を思い出した。小泉クンは、まさしく「初心」者なんだもの。そしてその「初心」を貫くことが何よりも正しいと錯覚しているんだもの。
 「断固たる決意」は、美しい言葉である。しかし、思考停止、判断放棄を意味するその「断固たる決意」が、ある日、国を滅ぼすのだ。





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1947年生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒。慶應義塾大学大学院修了。東京工業大学講師を経て、現在、埼玉大学講師。朝日カルチャー・センター(小説教室)講師。民間シンクタンク『平河サロン』常任幹事。哲学者。作家。文藝評論家。

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