文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

芥川賞の「モーニング娘。」なんて、オラアは、知らネーよ。

 芥川賞に19歳と20歳の美人姉妹(笑)が同時受賞だと。いやはや、まいりましたね。こういう時は「物言えば唇寒し……」てなわけで、沈黙するに限ります。何を言っても、アンタ、ひがんでるの? と言われるのがオチ。まずは、オメデトウと言って責任回避。さて、私は、先日も言ったように、この二人の小説がレベルが低いとは思っていない。芥川賞にふさわしくないとも思っていない。元々、芥川賞とはそういうものである。直木賞は、すでに新人の枠を脱した中堅作家が受賞するものと、だいだい決まっているようだが、芥川賞は、それこそポッと出のお嬢さんやお兄さんが受賞してもぜんぜんおかしくない、と言うのは芥川賞発足時からのお決まりだ。それゆえに、当たり外れも大きいわけだが、また、それゆえに新しい時代を切り開く可能性も秘めているわけだ。たとえば、芥川賞の第1回受賞作は、誰も知らない石川達三という青年の書いた「移民ドキュメンタリー小説」(『そうぼう』漢字がない?)だったが、その影で泣き狂ったのが太宰治だった、という話は有名な話。当時、太宰は、中堅クラスとまでは行かないが、すでに新人の枠を脱しつつある新鋭作家だった。今更、太宰治のような作家に賞をあたえたって賞がイベントとして成功するはずがない。というわけで、海のものとも山のものともわからない無名の青年の手に渡ったのである。その後、芥川賞は時局とうまく妥協しながら、スキャンダラスな新人作家を次々とプロデュースしてきた。満州事変の頃は、満州在住の同人雑誌レベルのシロウト作家たちが続々と芥川賞に輝き、シナ事変になれば出征中の火野葦平に、戦後は、沖縄返還の頃は沖縄県庁職員・大城立裕に。日韓問題がクローズアップされると在日作家たちに。したがって芸能界が今や、「モーニング娘。」という小・中学生全盛時代とあれば、その時代の趨勢を芥川賞が見逃すはずがない。というわけで、いいタイミングで19歳という史上最年少の女子大生や、20歳のフリーター女性が芥川賞に輝く、というわけだ。繰り返すが、私は、「綿矢りさ」さんや「金原ひとみ」さんの作品が文学的価値のないバッタもんだと言いたいわけではない。作品そのものは決して受賞作として歴代の受賞者たちのそれに見劣りするわけではない。ただ、この選考の仕方は、あまりに大胆だなあ、と言いたいだけだ。決して若さに嫉妬しているわけではございません。為念。





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1947年生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒。慶應義塾大学大学院修了。東京工業大学講師を経て、現在、埼玉大学講師。朝日カルチャー・センター(小説教室)講師。民間シンクタンク『平河サロン』常任幹事。哲学者。作家。文藝評論家。

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