文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

昨夜の勉強会は経産省課長S氏の「ジェネラリスト論」

 昨夜は、経済産業省の現役課長S氏のリーダーシップ論を聞く。岡崎久彦塚本三郎各氏も出席。S氏はバリバリの現役課長でありながら、日本の近代軍事史に関する著書を持つ知性派、理論派でもある。今日は、表面的な、短期的な政策論ではなく、長期的な視野に立った本質論を語りたいと最初に宣言。これには僕もまったく同感。道路公団問題から金融、郵政、地方自治にいたるまで、最近の議論の多くは近視眼的で瑣末な政策論が多すぎる。その根底にある問題の本質を見失っている。本質を見失った上での瑣末な政策論議は百害あって一利なし。小泉政治の限界はそこにある、と僕は考えている。極端に言えば、政策より人間に問題があるのだ。さて、そこでS氏の話。迷ったら原点に帰れ、本質論に戻れ、というのが結論のようだ。たとえば、パールハーバーは海戦の主軸を航空機に転換させた画期的な闘いだった。しかし日本軍はその画期的な歴史的意義に無自覚だった。その結果、最後まで巨艦巨砲主義に固執し、戦艦大和の悲劇を迎える。一方、アメリカは即座に海軍戦略を航空重視へと転換。そしてそれが結果的に明暗を分けることになる。では、なぜ、日本軍は成功の歴史的意義に無自覚だったのか。ここで、S氏はリーダーの資質の問題へ話を転回する。明治から太平洋戦争にいたるまでの日本の成功と失敗の歴史にはリーダーの資質の問題が深く関っていると分析。単純化して言えば、日露戦争までは、江戸時代の文武両道の武士道教育を受けたジェネラリストの軍人が主軸であった。しかしその後、近代的な軍人学校出身の学校エリート軍人が登場。つまり戦争のスペシャリストたちが軍の中心になリ始める頃から日本軍は迷走を始める。それが結果的には日本を敗戦へ導いた原因ではないか。これがS氏の「ジェネラリスト論」であった。これに対して、外交評論家・岡崎久彦先生が、司馬遼太郎半藤一利らのような、「明治は素晴らしい、昭和はダメ」という二元論的歴史観はおかしい。昭和の軍人が特別ダメだったわけではない。むしろ問題なのはそういう歴史観に洗脳されている戦後教育ではないのか、と発言。うーん。鋭いご意見。しかし、この司馬史観批判は、僕が以前から主張していることでまったく賛成なのだが、僕はやはり、S氏の言う明治と昭和の軍人の資質の問題、ジェネラリストかスペシャリストかという問題も無視できない重大問題だと思った次第。




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1947年生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒。慶應義塾大学大学院修了。東京工業大学講師を経て、現在、埼玉大学講師。朝日カルチャー・センター(小説教室)講師。民間シンクタンク『平河サロン』常任幹事。哲学者。作家。文藝評論家。

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