文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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「思想の土着化」とは何か?ー桜井誠論。


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私は桜井誠の『大嫌韓時代』を一読して、あまり違和感を感じなかった。ここには、日韓関係にまつわる様々な問題が出ている。しかし、桜井誠の議論は、すべて存在論的根拠を持った議論になっている。私は、これまで、何回も、この種の本や論文を批判してきた。にもかかわらず、私は、桜井誠の『大嫌韓時代』を違和感なしに面白く読むことが出来た。


何故か? それは、「思想の土着化」という問題が絡んでいる。この問題を議論する上で参考になるのは、吉本隆明の『転向論』や『丸山眞男論』、あるいは芥川論『芥川龍之介の死』などである。「たからの孤立が転向の原因となる」という、有名な、いわゆる吉本隆明「大衆の原像」論である。私は「大衆」という言葉の意味や概念などに興味はない。ただその「孤立」という言葉に思想的関心を持つ。


私見によれば、「思想の土着化」とは 、「大衆の原像」を内在化し、共有しているかどうかという事である。「貧しい労働者」であれ、「東大大学院博士」の知識人であれ、状況は同じである。高度成長以後、「大衆」が変容し、「大衆の原像」もなくなったという人たちも少なくない。それは、その人が、大衆を見失っただけで、「大衆の原像」としての大衆は、何処にも、誰の中にも、そしていつの時代にも、厳然といるものだと思う。


さて、桜井誠の『大嫌韓本』や『大嫌韓日記』を読んで、私は、桜井誠の文章は、大衆とともにある文章だと思った。ここには、大衆の集合的無意識とでも呼ぶべき「叫び声」がある。だからこそ、知ったかぶりのインテリやインテリ崩れの似非大衆どもが、どんなに嫌悪し、排除し、唾棄しようとも、物言わぬ大衆の心をつかむのだ、と。



(続く)



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