文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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廣松渉と「九州男児」の政治哲学と革命論。


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私も九州出身(鹿児島)なので、「九州男児」とか「薩摩隼人」とかいう言葉には敏感である。私は、ほとんど使わないし、正直に言うとあまり好きではない。むしろ大嫌いと言った方がいい。田舎者の図々しい郷土自慢、田舎自慢の匂いがするからだ。つまり、私には、この言葉は、口先だけの「田舎者の大法螺吹き」の代名詞にしか聞こえない。


しかし、廣松渉が頻繁にこの「九州男児」という言葉を使っていたとすれば、それは別である。廣松渉は「田舎者の大法螺吹き」とは無縁な人間である。廣松渉のような人が、この「九州男児」という言葉を使ったとすれば、そこには何か深い意味があるはずだ。廣松渉は、この言葉にどういう意味を込めたのだろうか。私の推測では、「言行一致」「不言実行」「知行合一」・・・という意味を込めて、「九州男児」という言葉を使っていたのではあるまいか。


廣松渉と「廣松渉の弟子達」との「差異」も、人間的差異だけではなく、哲学的、思想的差異も、ここに、つまり佐賀鍋島藩の『葉隠』の精神にも通じるような「言行一致の政治哲学」にあったのではないか。廣松渉が頻繁に使ったという「九州男児」という言葉は、意外に深い思想的意味を持っているように見える。自分は、口説の徒でも、象牙の塔にこもる単なる大学文化人でもなく、あくまでも実践的な革命家である、と。


廣松渉に、名古屋大学教授時代の教え子だという小林敏明を相手に、自由奔放に語った「自伝的回想録」(『哲学者廣松渉の告白的回想録』)がある。それを読むと、廣松渉が、少年時代から共産主義思想に目覚め、早くに共産党に入党、伝習館高校では政治活動が原因で退学処分を喰らった、というような、根っからの革命活動家であったことが分かる。


廣松渉の自伝的回想録によると、早熟な革命少年と同時に、かなり暴力的で、粗暴な腕白少年でもあったようである。9寸五分のドスを懐に忍ばせて、喧嘩に明け暮れていたというのだ。革命少年と腕白少年。私には、なかなか理解できない話だが、驚くべきことに、廣松渉少年の中では、それが共存していたらしい。


廣松渉の革命も革命運動も革命論も、流行思想に敏感な大学生や大学文化人の好きな「知的遊戯」、ないしは「革命ごっこ」ではなかったのである。それを、「俺は九州男児だよ」という言葉が表しているように見える。「お前達のような口先だけの『口説の徒』とは違うぞ」、「俺は筋金入りの革命家だぞ」と。


私が、かなり昔に読んだか、聞いたかした話(廣松渉伝説)に、当時休刊中だった「情況」を復刊しようとして、廣松渉が、ふところのサラシの中から、100万円を出し、編集長予定の人物が、それを辞退すると、「男が一度出したカネを、引っ込めるわけにはいかない」とすごんだ、という話がある。やはり、廣松渉の「九州男児」は、口先だけのものではなかったのである。



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