文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

新自由主義は新帝国主義である。新自由主義だとかグローバリズムとだとかいう口当たりのいい言葉で宣伝されている最近の経済政策は、実質的には「自由主義」とは関係なく、典型的な「帝国主義」である。レーニンが『帝国主義論』で言った帝国主義とは、「植民地」を必要とする資本主義のことである。現代では、植民地争奪戦は行われていない。しかし、見えないかたちでの「植民地争奪戦」は行われている。「資本の海外移転」「工場の海外移転」、あるいは「外国人労働力の移入」「移民」・・・。

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◼新・帝国主義論(山崎行太郎)◼

(1)宇野弘蔵と岩田弘

アメリカ大統領予備選を見ていると、「何か」が変わろうとしているように見える。ダークホースでしかなかったトランプの驚異的な人気沸騰だけではなく、サンダース、クルーズ等の活躍は、アメリカ社会、あるいはアメリカ国民が、大きく「変化」「変質」しつつあるのではないか、と思わせる。誰が大統領に選ばれるにせよ、私は、資本主義の先進国アメリカで、近代資本主義経済への批判と拒絶が、静かに沸き起こっているのではないかと思う。つまりアメリカ社会は、グローバリズムとか新自由主義とかいう「世界資本主義のパラドックス」に直面し、アメリカ国民の多くが、それに拒否反応を示しているということだ。「暴言王」とか「社会主義者」「保守主義者」などと言われているが、問題は、もっと深いところにあるように見える。


私は、日本の哲学者で、文芸評論家でもある柄谷行人が、最近、『世界史の構造』や『世界共和国へ』『帝国の構造』『哲学の起源』などで展開している「Dの世界」論との関連で、この「世界資本主義」の問題を考えてみたいと考える。


たとえば、柄谷行人は、帝国と帝国主義を区別する。現代の資本主義は、「帝国主義」であって「帝国」ではない。帝国とは、ペルシャ帝国、ローマ帝国オスマン帝国清朝・・・などの旧帝国のことである。これに対して、オランダやイギリス、アメリカなどの近代資本主義的帝国は、厳密に言うと「帝国」ではなく、「帝国主義」である。帝国主義が、旧帝国を次々と解体していったというのが近代資本主義の歴史である。柄谷行人は、『帝国の構造』で、こう言っている。


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーー
「世界帝国は、世界=経済から生じた世界資本主義によって内からも外からも破られて衰退していきました。そして、「民族自決」つまり国民国家への分解の道をたどった。しかし、帝国は最後まで、さまざまなかたちで抵抗しました。この抵抗はたんに帝国存続のためだけではありません。そこには、近代西洋の資本主義と国民国家のk観念を疑い、それらを越えようとする志向があったのです。」
(『帝国の構造』152p)
ーーーーーーーーーー引用終りーーーーーーーーーー


たとえばイギリスに始まった資本主義は、次第に世界中に拡大し、旧帝国をも解体していった。「イスラム問題」も起源は、オスマン帝国という旧帝国を、イギリスやフランスなどの資本主義国家が、占領、分断、支配した結果、現在のような混乱が起きている。われわれは、資本主義や資本主義社会を自明のものと思っているが、資本主義は19世紀から20世紀、21世紀のことでしかない。この「世界資本主義のパラドックス」を乗り越え、そこから抜け出す可能性はないのか?柄谷行人は、「旧帝国のシステム」にヒントが隠されていると見ている。


さて、資本主義の起源は「労働力の商品化」にある。労働力を商品として売るしかない労働者=プロレタリアート=サラリーマンの誕生である。これは宇野弘蔵マルクス経済学の基本思想だが、それは「純粋資本主義論」とも「一国資本主義論」呼ばれ、それを批判したのが、岩田弘の「世界資本主義」論だった。私は、岩田弘の世界資本主義論について詳しくは知らないが、岩田弘が「世界資本主義」という言葉で、何を言いたかったかは、よく理解出来る。われわれが、今、直面している問題は、まさしく「世界資本主義」の問題だからだ。


国内の労働力は、無限に存在するものではない。いずれ枯渇する。たとえば、高度経済成長の時代は、それまで農村地帯に眠っていた膨大な労働力が、都市の資本主義的生産現場などに吸収されていった。しかし、繰り返すが、農村の労働力も無限に存在するわけではない。労働力不足が起きる。すると労賃の高騰を招く。労賃が高騰した結果、生産品の価格は上昇する。輸出・貿易に依存する輸出産業の利益率が激減し、景気悪化、合併、倒産、失業に直面することになる。そこで資本は 、生き延びるために外国を目指し、海外への工場移転や外国人労働力の移入へと向かう。
ここで、資本主義は、「一国資本主義」から「世界資本主義」となる。


岩田は、宇野経済学を批判して「世界資本主義」論を主張した。今、「新自由主義という新しい帝国主義」が暴威を奮っているわけだが、新自由主義とは自由貿易主義でもある。果たして、この自由貿易主義=新自由主義の問題点は、何処にあるのか?戦後日本は、ヘゲモニー国家=米国の庇護のもとに、様々な矛盾や衝突を繰り返しながらも、自由貿易主義によって発展してきたと言われる。


もちろん、「世界資本主義のパラドックス」という問題は、「TPP問題」とも無縁ではない。TPPを推進するにせよ、TPPに反対するにせよ、いずれにしろ、明るい未来はない。しかし、世界資本主義に明るい未来はないとしても、世界資本主義、乃至は資本主義が簡単に「終焉」するわけではない。資本主義、ないしは世界資本主義は、紆余曲折を経て、生き延びていくだろう。


(2)レーニンの『帝国主義論』

レーニンは、「資本主義の最終段階としての帝国主義」を論じている。資本主義は、国内の発展・成長が飽和点に達すると、最終的には、外部としての外国を必要とする。植民地である。そして先進資本主義国は、植民地争奪戦に向かう。こがやがて戦争を引き起こす。いわゆる帝国主義戦争である。



(3)柄谷行人の『新・帝国主義論』

柄谷行人は、冷戦終結後、世界を席巻している「新自由主義」を「新帝国主義」だと言っている。私は、柄谷行人の分析・主張は、場当たり的な議論が多い中で、傾聴に値する議論だと思う。


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーー
現在の先進国の政治・経済は、新自由主義と呼ばれていますが、僕は、それは新帝国主義と呼ぶべきだと思います。一九七〇代から、先進資本主義国のなかでは、一般的利潤率の低下という事態が生じった。その場合、資本が一国内で利潤率を確保しようとすると、第一に、税を減らすことになります。つまり、福祉などの社会政策や公共事業などを削減することです。第二に、金融資本などへの法的規制を取り払う。その結果、富の再分配がそれなりにされていた福祉国家と違って、貧富の格差が急激に広がります。しかし、資本はそんなことをかまっていられない。また、それに対する労働者の抵抗も少ない。というのは、あらかじめ抑えこんであるからです。つぎに、「資本の輸出」。資本は労働者を犠牲にして、海外に移転する。実は、十九世紀末の帝国主義時代に同じ現象があったのです。
(柄谷行人「『世界史の構造』から『哲学の起源』、そして『帝国論』へ」『柄谷行人インタビューズ2002ー2013』248p)
ーーーーーーーーーー引用終りーーーーーーーーーー





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