文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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佐藤優論(6)丸山眞男とフロマートカ。


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佐藤優は、丸山眞男の「ユダヤキリスト教」における「神」の解釈と理解が間違っていると厳しく批判している。それに対して、佐藤優は、フロマートカの神学を対置する。丸山眞男は、たとえば『忠誠と叛逆』において、宇宙生成神話を、「つくる」と「なる」と「うむ」に類型化し、ユダヤ=キリスト教の宇宙生成神話を、「つくる」に当てはめている。佐藤優は、それは、批判する。

現在でもユダヤキリスト教と日本思想の二項対立というとらえ方は、神学の専門的訓練を受けた以外の日本人にも強い影響力を持っています。しかしここで丸山(眞男)が考える「つくる」神は、ユダヤキリスト教の動的な神理解にもとづいているものではありません。丸山が依拠しているのは、アリストテレス哲学とキリスト教を調和させた中世カトリシズムという、時代的にも地域的にも特殊なキリスト教神学の枠組みを普遍化した議論です。(中略)丸山には、バルトやユンゲルにとって当然の前提である、ユダヤキリスト教の「なる」という存在論的了解が通時的に継続していることがわからないのです。これは知識ではなく、神学的センスの問題です。
(『神学の思考』71-73ページ)


丸山眞男には「神学的センス」がないということは、「思想的センス」がないということである。言い換えれば、丸山眞男的思考、あるいは戦後民主主義的思考は、理性の範囲内の合理主義的思考であり、人智を超えたもの(超越)への畏れと畏怖がないということだろう。


ところが佐藤優は、丸山眞男を批判する一方で、柄谷行人の思考を擁護する。したがって、佐藤優のいう「神学の思考」とは、神学や信仰の問題に限らないということだろう。私は、かなり以前から「存在論的思考」を主張しているが、それは、佐藤優のいう「神学的思考」とも無縁ではないよように思われる。


(続く)


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