文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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櫻井よしこにおける「「ネット右翼」の研究。

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三木清に「パスカルにおける『人間』の研究」という本がある。三木清の処女作である。哲学者・三木清は、人気者だったが、毀誉褒貶の激しい人物だったらしく、それを揶揄して、「三木清における『人間』の研究」を書いたのは、多分、大宅壮一だったと思う。その例に倣って言えば、今は、やはり、「櫻井よしこにおける『ネット右翼』の研究」ということになるだろうと思うが、どうだろうか?(笑)。私は、ネット右翼には、「明るいネット右翼」と「暗いネット右翼」とがあると考える。「軽いネット右翼」と「デイープなネット右翼」と言い換えてもいい。さしずめ、櫻井よしこのような思想家、ジャーナリストの思想は、前者であろう。桜井誠の思想は、そうではない。桜井誠の思想や言説は、暗く、ディープな思想である。私は、安田浩一の『ネットと愛国』を読んだ時、このことに気付いた。安田浩一は、『ネットと愛国』で、上から目線で、批判的に、且つ侮蔑的に、桜井誠らの「在特会」関連の情報を、執拗に追跡し、その思想よりも、経歴や出身地を調査・分析している。その貧しい生活環境や経歴を、「見下し」、「軽蔑」しようとしている。ところが私は、安田浩一とは逆に、反対のことを考えていた。思想の在り方、思想家の在り方についてである。丸山真男は、『日本の思想』で、日本の思想史を眺めてみると、様々な思想が風船玉のように華々しく飛び交うが、時代が変われば、すぐに忘れられ、一度も「定着」するということがない、と批判している。丸山真男が批判している思想は、おそらく「明るく」「軽い」ところの日本の思想であろう。むろん、「暗く」「デイープ」な思想もないわけではない。たとえば、夏目漱石小林秀雄に代表される「文学=思想」は、それには当てはまらないだろうか。夏目漱石小林秀雄は、何年経っても読まれている。全集の刊行も定期的に行われている。夏目漱石小林秀雄等の思想は、忘れられることはない。批判であれ、賞賛であれ、絶えず振り返られ、論じられている。何故か? 江藤淳が、その「夏目漱石」論で、「暗い漱石」という言葉で、漱石文学の暗部を論じたように、夏目漱石小林秀雄等の文学や思想には、「デイープなもの」、「暗いもの」があるということだ。私は、誤解を恐れずに言えば、桜井誠の思想や言動にも、この「暗いもの」があると思う。安田浩一の『ネットと愛国』は、桜井誠在特会を批判=罵倒しているにもかかわらず、それを読んで、私は、桜井誠に親近感を感じた。在日朝鮮・韓国人に狙いを定めた「ヘイトスピーチ」は、その暗い思想の一部だろう。私は、『ネットと愛国』を読んで、その「暗さ」に興味を持った。桜井誠の「「ネット右翼」は、「存在論ネット右翼」である。