文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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小林秀雄と満洲と南京事件。「南京大虐殺はなかった論」の背景を考える。


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「新潮」11月号に、大澤信輔という人が、「小林秀雄と朝鮮・満洲旅行」の話を、かなり綿密な資料や文献の調査・分析の上で書いている。小林秀雄は戦時中、朝鮮・満洲旅行を5、6回、繰り返している。私も興味を持って、「小林秀雄満洲」というテーマで、書いたことがある。小林秀雄は、「戦争」や「満洲」「南京事件」を、どのように見ていたのか?小林秀雄は何回かの戦時中の中国旅行で、ソ満国境付近まで足をのばし、「満洲青少年義勇軍」の村や開拓団を視察し、「満洲の印象」などの旅行記を残している。小林秀雄は、「反戦」「反侵略」の立場で、中国旅行をしたのではない。どちらかといえば「戦争擁護論」「戦争肯定論」の立場で、中国旅行をしている。それでも、小林秀雄は、中国、満洲の現地の実態を見て、「深い絶望」に襲われていることが分かる。ちなみに、敗戦=終戦と同時に、義勇軍の青少年たちや開拓団の村の日本人は、中国人の襲撃で、ほぼ全滅している例が多いという。日本人全滅事件で有名な「通州事件」は例外ではない。「南京大虐殺はなかった論」や「南京事件はなかった論」とは、かけ離れらた苛酷な現実が、小林秀雄の目前では展開されていた。南京事件南京大虐殺も、それ自体として、個別的事件として考えることはできない。「南京大虐殺」の数は、30万人か10万人か、あるいは3万人か、あるいはゼロか・・・を綿密に調査・研究することは間違ってはいない。実証的な歴史研究はドンドンやるべきだろう。しかし、「30万人大虐殺」が信用できないという理由から、「大虐殺」も「虐殺」もなかった、と保守論壇や保守ジャーナリズムに蔓延している「南京事件捏造説」や「南京事件なかった論」へ飛躍することには同調することはできない。中国側にとって、南京事件、ないしは南京大虐殺は、日中戦争の象徴的事件なのだ。数の問題でありながら数の問題ではないのだ。そこを勘違いしてはいけない。保守論壇やジャーナリズムでは、南京事件を、「南京大虐殺」と規定することにして、「大虐殺はなかった論」を展開しようとしている。そこから、さらには「南京事件はなかった論」へ論理展開しようとしているように見える。たとえ、中国側が言う「南京大虐殺」や「南京事件」なるものはなかったとしても、日中戦争はあったのであり、日本軍による大陸侵略も歴史的事実なのである。小林秀雄満洲体験を詳細に検証していくと、南京事件(南京大虐殺)の背景も日中戦争の現実も見えてくる。



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