文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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佐藤優と田辺元(8)ー田辺元にとって「懺悔」とは何か?

dokuhebiniki2015-08-12


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田辺元の「京大辞職」は、責任を感じての辞職ではなく「定年退職」であった。定年退職後、余生を静かに過ごすために軽井沢に引き篭もったのであろうか。多くの人が勘違いしているようだが、私も、戦時中の発言を恥じ、京大教授職を途中辞職したと勘違いしていた。田辺元は、そんな甘い人間ではなかったらしい。田辺元も、小林秀雄と同様に「俺は反省しない」「利口な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか?」と言いたかったのかもしれない。田辺元の「懺悔」「懺悔道」には、「反省」の意味は少ない。もっと積極的な思想である。新幹線車中で『懺悔道としての哲学』を熟読しながら、そう思った。『懺悔道としての哲学』には親鸞やカントが頻出する。特に親鸞の「懺悔の哲学」が濃厚に反映されている。親鸞の懺悔は、修行そのものである。修行が懺悔なのである。佐藤優が、キリスト教のメタノイア(悔悛)に比較しているが、その方が正しいのかもしれない。これに対して、合田正人は、『田辺元ハイデガー』で、こう言っている、「『種の論理』の立場から、田辺は、出陣する学徒たちに決死と散華を説き、国民総動員を哲学的に裏づけ、戦争遂行を懺悔し、戦後日本の進むべき道を示した。そして、戦後新たに生まれ変わったと私たちの多くが思っている現在の日本という国の針路にも、ほとんど誰も気づかないところで、田辺とその『種の論理』は作用を及ぼしつづけているのだ」と。私から見ると、この解釈は、田辺元の「懺悔」を「反省」と受け止めているという点で、はなはだ疑問である。田辺元の懺悔は、反省や自己批判というより、「もっと深く思考せよ」「もっと徹底的に問い詰めよ」「虚無の深淵を覗き込め」という「哲学的思惟のススメ」のように見える。また中沢新一は、フランス現代思想レヴィ・ストロースやジル・ドルーズ等の名前を出して、田辺元は、彼等と同じような思想を展開し、それを先取りしていたからという理由で、再評価したらしいが、それこそナンセンスである。フランスかぶれ、西洋かぶれの劣等感丸出しの誇大妄想だろう。田辺元田辺元の名において再評価されるべきだろう。(続く)



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