文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

佐藤優と田辺元(3)ー反知性主義を脱構築するための哲学。

dokuhebiniki2015-08-04



人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ


私は、佐藤優田辺元の哲学に興味を持つところに興味を持つ。佐藤優は、マルクスキリスト教神学などについて、かなり深い思考と分析を行っている。それらは専門家以上であるように、私のような門外漢には見える。たとえばマルクスについて、佐藤優は高校生の時に出会い、本格的にマルクス読解と研究、実践活動に取り組んでいる。『私のマルクス』を読むと、ただただ驚きを禁じえない。佐藤優は、高校生の時に鎌倉孝夫と出会い、鎌倉の「資本論読書会」に参加し、さらに「社青同」という政治活動組織にまで加入している。私は、その手の早熟な学生が、大人になってから語る昔話(自慢話?)が、大嫌いであるが、佐藤優の話は別である。私は、初めてマルクスを生き生きと語る人間に出会った感じがする。佐藤優の語るマルクスは、「生きている」と思う。佐藤優マルクスは、高校生時代から現在まで一貫しているからである。世間に溢れている「訓詁学としてのマルクス」ではない。佐藤優は、ピケテイと対談して、ピケテイがマルクスの「労働力の商品化」という問題を知らないだけでなく理解できなかったと言っている。さて田辺元である。佐藤優の「田辺元論」を見ていくと、やはり、田辺元が、日本と日本国民を巻き込んだ戦争という歴史的現実に、傍観するのではなく、当事者として引きずり込まれ、あるいは積極的に加担し、そこで悪戦苦闘したということに、関心があるように見える。そういう意味で、田辺元西田幾多郎でも小林秀雄でもない。立場上、逃げることは出来なかったにせよ、学徒出陣する大学生たちに向かって、「死んでこい」「死ぬことが使命だ」と言った田辺元は、やはりタダモノではない、と私も思う。理論と実践が合体している。おそらく佐藤優もまた理論と実践が合体している。佐藤優の紹介で初めて知ったチェコ神学者にフロマートカという人がいる。佐藤優によると、彼の言葉に、「われわれが活動するのはこの世界だ」というものがあるそうだ。まさに実践を、より具体的に言えば、今、この時間に苦しんでいる人たちがいるならば、神学や哲学の説教ではなく、今、すぐに政治的な活動も含めて、実践、活動せよということだろう。フロマートカは、ソ連チェコ侵攻の際に、「逃げるな」「亡命するな」と弟子に命令したそうだ。おそらく、田辺元も、大東亜戦争という「歴史的現実」から逃げなかった。綺麗事を言って逃げることも、象牙の塔とやらに隠れ、嵐が去るのを待つこともできただろう。しかし田辺元はそうしなかった。田辺元の「散華の哲学」を聞いたか聞かなかったは別として、次々と散華していく学生たちを前にして、「重い責任」がのしかかてきただろう。それが『懺悔道としての哲学』ということになったのだろう。ちなみに、戦時中の問題の講義録をまとめた『歴史的現実』は、黒田寛一の解説付きで「こぶし書房から出版されている。
(続く)



人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ (続きは、「イデオロギーから存在論へ」「文学や哲学を知らずして政治や経済、軍事をかたるなかれ」がモットーの『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから→http://www.mag2.com/m/0001151310.html