文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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「反知性主義」と「ネット右翼亡国論」。

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佐藤優氏の『知性とは何か』と『反知性主義ファシズム』を読んだ。「反知性主義」という言葉を聞く機会が増えたが、どーもこの言葉の仕掛け人は、佐藤優さんであるようだ。



実は、先月、吉野山上で行われた「月刊日本」主催の「佐藤塾(太平記を読む)」に参加した。京都で新幹線を降り、近鉄奈良線に乗り換え、着席してしばらくすると、背後から、「どーも」という声がする。振り向く間も無く、佐藤さんが、車掌に案内されて、通り過ぎて行った。



佐藤優さんは、5、6年前から吉野で勉強会を開いている。私は、「月刊日本」編集部員で、佐藤優さんの担当だった尾崎秀英さんに誘われて、二回目ぐらいから参加するようになった。


というわけで、私も吉野の「佐藤塾」に、4、5回参加している。私も「佐藤塾」の塾生ということになる。吉野は、再生と反逆の場所らしい。大海人皇子の挙兵、後醍醐天皇南朝・・・。私も、吉野に来るようになってから、調子をとりもどしたようだ。



佐藤氏や尾崎氏の案内で、後醍醐天皇が眠る如意輪寺(写真)や、蔵王堂の朝の勤行 、吉水神社、賀名生(あのう)皇居跡など、吉野のことは、かなり詳しくなった。同じ名所旧跡や観光地を、4、5回も訪ねたのは、吉野以外にない。



尾崎秀英さんは、今年1月に亡くなった。尾崎さんが、如意輪寺に植えた桜の木を見て、感激した。今回は、尾崎さんのご両親やお兄さんも同行していた。



さて、反知性主義の起源をたどっていくと、「ネット右翼」や「2ちゃんねる」の誕生や浅田革命による「ポストモダン思想」の流行と結びつく。「思想の商品化」「思想のファッション化」「大学のレジャーランド化」であった。それは、同時に「純文学の大衆文学化」であり、「文壇の学歴社会化」であった。



皮肉なことに、浅田彰の難解な『構造と力』ブームが、「学問の大衆化」「学問の反知性主義化」をもたらしたというわけである。安倍政権は、その反知性主義化の波の集大成ということができるかもしれない。



現代の問題は、反知性主義の波が、政府や大学、官僚、マスコミの世界にまで及んで来ていることだろう。私は、「反知性主義」や「ネット右翼」の問題を、低学歴のワーキングプアーの問題とは考えない。むしろ逆なのではないかと考える。



たとえば、『ネットと愛国』という本が話題になったことがある。悪名高い「在特会」やその代表の櫻井某を、その生まれ育った故郷の町までを現地取材し、不幸な親子関係や貧しい生活環境を暴き出し、上から目線で愚弄し、誹謗中傷する本であった。



私は、この本を書いた安田某に、何か「いかがわしいもの」を感じた。これは大衆蔑視論であり、学歴礼賛論ではないか?「お前は何様のつもりだ?」と。これこそ反知性主義そのものではないか?




私は、昔から、無知無学な大衆を、上から目線で批判・嘲笑するインテリ文化人が嫌いであった。私が、保守思想に興味を持ったのは、保守思想は、無知無学な大衆を、侮蔑も愚弄もしていいなかったからだ。



小林秀雄吉本隆明は、「国民」とか「大衆」という存在を、その思想の基礎に置いていた。小林秀雄は、「国民は黙って事変に処した」と言い、吉本隆明は「大衆の原像」という言葉で、大衆重視の思想的立場を明確にした。小林秀雄吉本隆明も、「国民」とか「大衆」という言葉を重視することによって、無知無学な大衆を、啓蒙の対象としてしか見ずに、愚弄する「似非インテリ文化人」を激しく批判したのだ。



高学歴の頭デッカチこそ反知性主義である。「在特会」の櫻井某に、高卒の芥川賞作家・中上健次と共通するものを感得できない知性は、知性主義者のものではあるかもしれないが、知性派のものではない。大衆の「集合的無意識」が読み取れないものこそ反知性主義ではないのか?



現代の日本で、唯一、ホンモノの知性を感じさせる思想家・文学者の柄谷行人は、若い時から「中上健次」や「中上健次的なもの」を共有していた。柄谷行人の知性は、「東大博士的知性」ではない。



反知性主義の時代とは、「ネット右翼」が氾濫すると同時に、毒にも薬にもならない「東大大学院博士」が氾濫する時代である。文壇も、「東大博士」たちの再就職先か掃き溜めになりつつある。文学が地盤沈下し始めたのは、様々な原因があるだろうが、「文壇の学歴社会化」、つまり「文壇の小市民社会化」にも原因があるだろうと思う。




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