文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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宮沢俊義の「コペルニクス的転回」について。


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護憲派憲法学者たちは、憲法の成立過程についてはほとんど言及していない。何故か?実は、そこには戦後の憲法学の大家・宮沢俊義の「コペルニクス的転回」と、江藤淳が呼ぶ「変節」と「欺瞞」のドラマが隠されているからである。


言い換えれば、戦後日本の憲法学界の主流は、「宮沢俊義の転向」とともに形成されたのである。宮沢俊義とは逆に、戦後憲法への「コペルニクス的転回」を拒否した枢密院議長の清水澄は、戦後憲法に反対し、つまり明治憲法に殉じて、熱海で投身自殺したと、江藤淳は、『占領史秘録』の解説で書いている。


逆に改憲派の学者や思想家たちは、江藤淳以来、まず憲法の成立過程の暴露から憲法論や憲法改正論を始める。憲法改正論を大きな声として拡大し、市民権を得るようになったのは、「戦後の平和憲法は、GHQがつくった」という、江藤淳が暴露=解明した憲法成立過程の秘密が、公然たる常識として定着しつつあるからだろう。


宮沢俊義は、戦後憲法成立過程の秘密を知り抜いていたからこそ、それを秘密にしたまま、つまり戦後憲法の成立過程の秘密を隠蔽したまま、戦後を、戦後憲法の守護神として生きたのである。江藤淳は、その宮沢俊義の「コペルニクス的転回」における「変節」と「欺瞞」を、文藝評論家特有の鋭い感受性と実証的探究心を武器に、徹底的に暴露したにのである。




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