文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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憲法学者=宮沢俊義の転向と変節。東大法学部教授の憲法学者=宮沢俊義は、直前まで明治憲法の擁護者であったにもかかわらず、何故、戦後、いち早く転向し、「平和憲法」の守護神=護憲論者となったのか?

dokuhebiniki2015-06-06


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戦前から一貫して明治憲法の擁護者であった宮沢俊義は、マッカーサーの意向を知るや、あっさり転向した。次の支配者は天皇ではなくマッカーサーだと直感したのだろう。宮沢俊義は、単なる機を見るに敏な変節漢だったのか。江藤淳が、「無条件降伏論争」「占領研究」の過程で、探り出し、炙り出した「平和憲法」の守護神=宮沢俊義の正体とは?


集団的自衛権問題に関する衆議院憲法審査会か何かに参考人として出席した三人の憲法学者が、三人とも、集団的自衛権の行使は、「憲法違反」だと、証言したようで、つまり、自民党が呼んだ参考人まで、集団的自衛権行使法案に「反対意見」を述べたようで、話題になっている。


巷では、にわかに憲法学者の存在が、「さすが憲法学者 」と、注目されているようだが、はたして、どうなのか?憲法学者は信頼できるのか?私は、まったくあてにならないのが、宮沢俊義の例でも証明できるように、「憲法学者」という人種だと思う。



権力や支配者に弱いのが「憲法学者」である。権力や支配者の顔色を伺っているのが、大多数の「憲法学者」である。だから、憲法学者に本質的、原理的な「憲法の哲学」に関する議論は期待できない。前述の憲法学者たちも、「憲法違反」と言っているだけである。つまり憲法解釈を議論しているだけである。


憲法学者には、「憲法とは何か」を原理的に問う資質も才能も能力もない。六法全書を丸暗記して、それを巧妙に応用できるだけである。江藤淳は、宮沢俊義に象徴される「東大法学部教授」という存在と役割を抉り出している。宮沢俊義の急激な変節と転向に、「何か怪しいもの」を発見した。憲法や支配者に弱い御用学者!


斉藤禎さんの『江藤淳の言い分』を読んで、江藤淳が、死後、文藝や論壇で不当に黙殺されていることについて、自分なりに、疑問を感じるようになった。その根拠の一つが、江藤淳の「東大法学部教授=宮沢俊義批判」ではないのか、と思う。東大法学部を頂点とする憲法学者たちとその教え子たち。アカデミズムだけではなく、マスコミや官僚の世界にまで侵食し、根を張った連中を相手に、批判と総攻撃の論陣を張った江藤淳


さて、江藤淳は『占領秘史録3』の解説や『保守とは何か』などで、宮沢俊義」を徹底批判している。宮沢俊義の転向=変節の裏には、「利権」が絡んでいるという。だから宮沢俊義らのゴケンは、「護憲」ではなく「護権」である、と。

ところが、官界、学界は、国民が、あるいは日本の言論機関が改正しかない、という主張を打ち出して、そっちへ動き出したら、とたんに豹変する。そして、新々憲法の解釈学を始めるでしょう。だから新憲法制定のさいも利権の交代があったと思う。明治憲法と現行憲法との利権の交代のとき、利権の中心にいたのが東大教授だった宮沢俊義さんです。
(江藤淳『保守とは何か』野田宣雄との対談「四十八歳の憲法と政治の逃亡」)


では、宮沢俊義は、どのように変節したか?宮沢俊義の変節のようすを、江藤淳は細かく追及している。宮沢俊義は、戦後の平和憲法が、しだいに姿を現し始める直前までは、明治憲法の改正で大丈夫だと言っていた。たとえば。








(続く)


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