文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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櫻井よしこと田久保忠衛と「吉田ドクトリン」。

dokuhebiniki2015-05-19



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櫻井よしこの発信する情報や分析の多くは、受け売りやパクリである。たとえば、「無条件降伏論争」というものがある。文藝評論家の江藤淳が、本多秋五あたりを論敵に提起した論争である。櫻井よしこは、日本は無条件降伏していない、有条件降伏だったと主張する。なるほど、するどい指摘である。


しかし、その説が、江藤淳による問題提起だったことを書いてない。あたかも櫻井よしこ自身のオリジナルな分析と主張のように見える。つまり、櫻井よしこが得意げに主張する「無条件降伏論」なるものは、江藤淳からのパクリである。


同じことが、「吉田ドクトリン批判」にも言える。櫻井よしこは、仲間(櫻井よしこが理事長を務める国家基本問題研究所の副理事長?)の田久保忠衛が「吉田ドクトリン批判」を 、最初に言い出したかのように、書いている。


しかし、田久保忠衛は「吉田ドクトリン批判」を最初に言い出した人ではない。実は、田久保忠衛自身が、江藤淳等が、1980年代に提起した批判のパクリである。田久保忠衛が「吉田ドクトリン」を批判したのは2000年である。明らかに二番煎じ三番煎じである。


櫻井よしこの素朴な読者たちは、櫻井よしこのパクリと受け売りの「博学多才ぶり」(笑)に驚きながら、櫻井よしこの「雑文」を感動と共に読むかもしれない。しかし、櫻井よしこの主張の多くは、他人の説の受け売りである。だから間違っていることが明らかになっても、平気である。


たとえば、「地球温暖化問題」では、それほどの時間をおかずに、真逆の主張を、何の反省もなしに主張する。何故、そういうことができるのか。櫻井よしこの場合、多くの主張や分析が、実は、自分の頭で考えたものではなく、他人の説のパクリ、受け売りだからである。


田久保忠衛は、、今は、国際政治の大学教授のようだが、元々は新聞記者である。私は、新聞記者という人種を、思想的には信用していない。もっとも権力の走狗になりやすいパクリ専門人種である。最近、テレビなどで、新聞記者や新聞記者上がりの評論家が持て囃されるのは、彼等が、指令通り意見をコロコロ変える便利で、利用しやすい人種だからである。


今、現在の新聞記者たちを見ていれば分かる。政治権力やテレビ局の顔色を伺いながら、パクパクと語り続ける。田久保忠衛も、オリジナルの思想も学問的業績も持っていない。政治権力の動向やテレビ局の顔色を伺っているだけである。そういう人の思想や分析を頼りにする櫻井よしこの思想が信用できるわけがない。


つまり、田久保忠衛櫻井よしこ等が主導する「憲法改正」が、国民的説得力を持つはずがない。むしろ、彼等が騒げば騒ぐほど、「憲法改正」の可能性は、遠ざかるだけだろう。大多数の日本国民は、田久保忠衛櫻井よしこほど愚かではない。見える人には見えているのだ。

(続く)




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