文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

江藤淳は、吉田政治の何を批判したのか?何を批判しなかったのか?江藤淳は、高坂正堯や永井陽之助等のように、「吉田ドクトリン」などという言葉まで捏造して、吉田政治の偶像化、神話化、絶対化・・・を行った政治学者たちの思考、態度を、厳しく批判している。江藤淳は、吉田茂の政治を全面的に否定しているわけではないが、吉田政治は、本質的に「養子政治」であり、常に何者かに依存し、その何者pかを隠そうとしていると批判している。何を隠しているのか?

dokuhebiniki2015-04-16




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江藤淳に「無条件降伏論争」というものがある。文芸評論家の本多秋五を相手に繰り広げた論争である。日本の敗戦は「無条件降伏」だったのではなく、「外交権」などの国家主権は確保した上での「有条件降伏」だった、という主張である。つまり、「有条件降伏」でありながら、ある時期から、「無条件降伏」を、我が国の側から積極的に主張するようになった、というわけである。


この「有条件降伏」から「無条件降伏」への転向に、吉田茂が関わっていたはずだと江藤淳は言う。つまり、吉田茂が、自分の政治基盤を確保するために「国を売った」のではないかと、江藤淳は言いたかったのかもしれない。吉田茂は、占領軍を相手に果敢に闘った政治家ではなく、「強いものには巻かれろ」と占領軍に屈伏し、迎合した政治家だったのではないか?


江藤淳は、吉田茂の政治を「養子政治」と言う。吉田は、幼くして横浜の貿易商の吉田家の養子になっている。以後も、鳩山一郎追放後の自由党の「養子」(後継者)になり、マッカーサーの「養子」になる。常に吉田茂の生き方には、「養子」的なものが付きまとう。つまり、吉田茂は、「本家の跡取り息子」であったことがない。


これは何を意味するか?吉田茂は、「ワンマン」と言われた政治家だったにもかかわらず、「養子先」の意向には逆らえない「弱い政治家」であり「優柔不断な政治家」、よく言えば、「運動神経のいい政治家」だったというわけだ。言い換えると、吉田政治は、自主独立、自己主張のない、従属的な政治だった、ということだ。吉田茂の「ワンマン神話」は、吉田茂の「対米従属」を隠蔽する言葉だった可能性が高い。


江藤淳は、占領軍の検閲問題の追究や吉田茂批判を繰り返し始めた頃から、次第に、保守論壇内部で孤立し始める。親米保守派と思われていた江藤淳が、にわかに反米保守派に転じたことが鮮明になったからであろう。つまり江藤淳によって、親米保守派の秘密と自己欺瞞が、次々と暴露されていったからである。


おそらく江藤淳という存在が、戦後を謳歌してきた「吉田茂的なもの」としての「親米保守派」にとって邪魔になりはじめたのだろう。江藤淳が自殺後、江藤淳と親しかったある人物から、「江藤淳さんは消されたのでしょう」という話を聞いた。私は、信じないが、その可能性はゼロではないだろう。




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