文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

天皇発言と八木秀次。最近、天皇陛下と皇后陛下が、ともに、安倍政権の改憲路線に逆らうかのように、しきりに「護憲発言」を行っている。これは、天皇とその周辺が、現在の政治状況に、強い危機感を抱いているということだろう。それを批判する八木秀次とは何者か?

dokuhebiniki2015-04-07



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昨年、皇后陛下が、「五日市憲法」について肯定的発言を行ったので、驚いた。明らかに政治的発言であり、護憲的発言である。かなり踏み込んだ発言と思われる。ということは、皇后陛下も、相当の危機感を持っているのだろうと思われる。つまり、天皇天皇周辺は、安倍政権の「改憲路線」「軍国主義路線」、あるいは近隣諸国との「軍事対立路線」に危機感を感じているということだろう。



私は、昨日は(4/6)、立川朝日カルチャーセンターの「小説教室」だった。実は、そこの生徒の一人が、「五日市憲法」製作の張本人、千葉卓三郎の伝記を書いているので、私も、「五日市憲法」と「千葉卓三郎」について調べたから少し知っているのだが、皇后陛下が、記者会見で、わざわざ、「五日市憲法」にふれたことには驚いた。


天皇陛下皇后陛下も、あきらかに、安倍政権の改憲路線に危機感を感じている。八木は秀次が、天皇を名指しして批判したのも、偶然ではない。八木秀次も、確信犯的に天皇と対決しようとしている。要するに、天皇天皇周辺と安倍政権とは、憲法改正か護憲かを巡って対決しようとしている。


私は、左翼陣営からの安倍政権の「改憲路線」や「軍国主義路線」への反戦平和主義的な批判というような古臭い、ステレオタイプ化した批判にはほとんど興味ないがないが、天皇天皇周辺からの、いわゆる右からの安倍政権批判には、大いに興味がある。言い換えれば、安倍政権はこの右からの安倍政権批判で躓くことになるのではないか?


安倍政権の改憲路線は、国民との対決だけではなく、天皇天皇周辺との対決をも余儀なくされるだろうと思われる。昭和天皇が優れた政治家であり軍人だったように、現天皇も、昭和天皇とまではいかなくても、それなりに優れた政治感覚の持ち主であることは間違いない。安倍首相やその取り巻きの保守論壇のエセ思想家たちよりは、はるかに鋭く世界情勢を分析し、正確に認識しているのではないか、と思われる。

(続く)

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八木秀次天皇批判は、次のようなものだ。


 (前略)次いで天皇陛下が12月18日、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」と発言された。
 陛下が日本国憲法の価値観を高く評価されていることが窺える。 私がここで指摘しておきたいのは、両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。なぜこのタイミングなのか。デリケートな問題であることを踏まえない宮内庁に危うさを覚える。
 憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば、もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。
  灰聞するところによれば、両陛下は安倍内閣自民党憲法に関する見解を誤解されているという。皇后陛下は「新聞紙上」で憲法論議に触れられると述べておられる。確かに一部の新聞は、あたかも戦争の準備をし、国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように書き立てている。これは「ためにする」議論であることは言うまでもない。
 自民党の改正草案が天皇を「元首」と規定していることに、象徴天皇を否定し、天皇が政治的実権を握るようになると誤解されているからだとの観測もあるが、「元首」は「対外的な国家の代表者」との意味で、現行憲法下の実情と何も変わらない。
  それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。宮内庁への違和感と言ったのはそのような意味においてだ。(月刊「正論」五月号47頁より)

私は、憲法改正そのものには賛成である。明らかに憲法の制定過程に、不自然な思想や権力が介入しているからだ。それらを排除して、純粋に日本国民の意思で、憲法を制定し直すべきである。とはいえ、私は、安倍政権や保守論壇の面々、ありは八木秀次等が押し進めようとしている、エセ保守的、エセ右翼的な「憲法改正」には反対である。


憲法改正は、もっと成熟した政治家や思想家の主導で行うべきだろう。安倍首相や保守論壇のエセ思想家たち、あるいは八木秀次のようなインチキ右翼による憲法改正は、憲法改悪にしかならない。


さて、八木秀次が批判する皇后陛下の「五日市憲法」に関する話は以下の通りだ。


5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。 主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。朝日新聞明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
(「宮内庁ホームページ」より)

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