湯川遥菜と後藤健二の深い関係の謎?
湯川遥菜と後藤健二の関係は、我々が想像する以上に、はるかに深く、濃い。湯川遥菜は、数回、シリアやクルド、「イスラム国」などに出入りしているが、そのたびに、後藤健二が同行しているようだ 。二人は、ジャーナリストと民間軍事会社の経理者という関係にすぎなかったのか?それとも? もっと別の役割を持たされていたのか?
2013/12の「湯川遥菜ブログ」に次のような記事がある。むろん、この記事内容が、信用できるかどうかは分からない。しかし、湯川遥菜が、ブログに、現在のこととして、「スパイ関連」と書いていることは事実である。この記事が、全面的に信用出来るかどうかは別としても、あながち荒唐無稽だとも思えない。
「軍事、スパイ関連」という言葉が何を意味しているかは分からないが、「スパイ小説」や「スパイ映画」のレベルの話でないことは明らかだ。少なくとも湯川遥菜本人の意識では、「スパイ」という言葉に、それなりのリアリティーがあったことは事実である。湯川遥菜はブログに書いている。
これは予断(註ー余談?)ではあるが、先日アフガニスタンの米軍とスカイプで話していたのだが、僕の写真が女性か男性か分からないらしい。笑える。早速本題に行こう。
僕は軍事関係の仕事で中東の某国に行く予定で、作戦を経てていた。目的地は紛争が3年以上も続いている。
その某国に行く為には、国外退去勧告が出ている為、正規での入国が不可能だ。そこで僕はレバノンからの入国を決めていた。
某国に入国する際は、現地の手引きを必要とする。そこで現地の反政府側に人間と接触を図っていた。接触はSNSを使って(ソーシャルネットワークサービス)していた。スカイプもその一つの方法だ。現地人の名前を仮にザイードとしよう。
ザイードに僕は医薬品、医療品、食料、武器、弾薬の助けが必要か問いかけていた。そうするとザイードは大至急欲しいと返事が来ていた。そんなやり取りをしていてザイードが居る首都は○○イルと言う街になる。ここはレバノン国境から割と近く密入国するには好都合だ。
しかしここは某国でも戦闘が激しい地域の一つである。
湯川遥菜が、中東を舞台に、かなり具体的な活動をしていたこと、あるいは、しようとしていたことは、事実のようだ。湯川遥菜が中東方面に、なんらかの目的を持って旅行したのは一度や二度ではない。しかも、米軍の人間とも、「イスラム国」の人間とも連絡を取っている。
さて、湯川遥菜と後藤健二の関係(交流)は、いつ、始まったのか。湯川遥菜のブログを読んでいくと、湯川遥菜と後藤健二は、少なくとも、三回は、中東の旅に同行している。昨年4月、6月、7月のシリアやイラクへの旅で、二人は同行している。その時の現地情報やビデオを、後藤健二はジャーナリストとしてNHKや報道ステーションに提供しているが、その時のビデオカメラを持ち、撮影していたのは、湯川遥菜である。
昨年、1/24、湯川遥菜ブログには次のような記事がある。
2014-01-24 10:12:09
テーマ:♪男装の麗人 川島芳子のブログこの話題は今年になってから初めてですね♪
昨年末から気が付いた!僕は1907年に生まれている。1906年ではない。そして2014年、今の僕は丁度、前世で処刑された年齢と同じ。3月に中国に行ってはいけないね。死んでしまうから。
昨年末から今年に入り、軍や政府と関わる中で、前世の記憶が蘇えってくる。懐かしいと言うか嬉しさもある。
胸がキュンとなる。恋愛ではないのに、こんな感覚は久しく無い。芳子の心が喜んでいる。
芳子として、2014年からは未経験の人生!
未練を残して死んでしまったので、それを具現化する役割を感じる。
そして今日は芳子時代も利用した帝国ホテルで、昔と似た出来事が有った。懐かしい!タイムスリップしたみたい。
今日は会った人2人目は、元副大臣。
(お逢いした方の写真はUPできない。)
3人目の人は元特命全権大使。その方から初対面で見た目、子供呼ばわりされた。もっともかなり年上だが。(汗)
子供に言われ女性とも言われ、でもやっている事は男気がある。海外の危険地帯に行く事を話すと驚いた様子だ。
大使と一時間も話しているとガードしていた様子が和んだ。その頃になると僕はワインを一本空けていた。
不思議な感覚で説明は難しいが、現在の僕は昔の僕と2人で生きている様だ。現世の人生の中で一番、現在の僕は当時『男装の麗人川島芳子』の姿に近いだろう。
湯川遥菜が、昨年1月の時点で、帝国ホテルなどで、かなり長時間にわたって、政府関係者と親密に交流していることがわかる。たとえば、「元副大臣」の場合は、写真を公表できないと書いているが、逆にこの言葉で、「元副大臣」との話が、他愛もない世間話でなかったことを暗示しているように読み取れる。
少し話は変わるが、昨年10月ごろの話で、次のようなBlog記事があったので紹介する。
実は、ここにきて、ある重要な情報をキャッチした。ある政府関係者が打ち明ける。
「安倍政権の中枢は昨年10月末ごろ、『フリージャーナリストの後藤健二がイスラム国に誘拐された』との情報をすでに把握していたようだ。その後、外務省の一握りのスタッフだけで水面下の秘密交渉を続けたものの、失敗したと聞いている」
これが本当なら、安倍首相は人命のかかった人質解放交渉を途中で放棄し、昨年12月にあの“大義なき”衆院解散・総選挙に雪崩れ込んだことになる。
私は、この記事は、関係者からの情報だと思う故に、かなり信憑性は高いのではないかと思うが、もちろん、確証はない。
(続く)
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