文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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サイクス・ピコ協定とは何か?西洋列強が決めた国境線を、自らの手で


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「西洋列強が決めた国境線を、自らの手で引きなおすこと!」という言葉は、「イスラム国」の標語であるらしい。私は、この言葉に、深く共感する自分がいることを隠すつもりはない。


一昨夜の「報道ステーション」で、「イスラム国」側の主張にも耳を傾けなくてはならない、ということで、「イスラム国」の誕生の謎や「イスラム国」の政治的主張などを、やや好意的な観点から、分析・解明する番組が流されたらしい。早速、日本のネット右翼やその仲間たちから、激しい批判と罵倒が繰り返されたらしい。


私は、安倍政権やその関係者たちが、あるいはネット右翼やその仲間たちが、「イスラム国」を単なる犯罪集団としか見ていないことを、批判するつもりも罵倒するつもりもない。ただ軽蔑するだけだ。目先の表層的な擬似現実しか見ていない哀れな連中だからだ、


日本はもちろん、「西洋列強」の一員ではない。むしろ逆に、現在の「イスラム国」と同様に、西洋列強の世界支配に挑戦し、立ち向かったのが、大東亜戦争(太平洋戦争)であった。「英米中心主義を排す」が、その時のテーマだった。しかし、安倍政権の連中やネット右翼の連中は、そんなことは考えないらしい。自分たちを、西洋列強の一員とでも妄想しているようだ。


さて、「西洋列強が決めた国境線を、自らの手で引きなおすこと!」とはどういうことか? この言葉は、アラビア諸国、あるいはイスラム諸国と欧米先進国との間に横たわる歴史的、宗教的、政治的問題がある、ということを示している。「イスラム国」を 、国家ではないとか、単なる犯罪集団、単なるテロリスト集団に過ぎないと解釈するだけで、簡単にかたずくような問題ではない。むろん、人質問題が、解決しようとしまいと、この問題に終わりはない。


「サイクス・ピコ協定」というものがある。第一次世界大戦後の中東国家の枠組み(国境線)を決定した協定である。それまでアラブ社会に君臨していた「オスマン・トルコ帝国」は、第一次世界大戦において、ドイツ・オーストリア側に加担したために敗戦国となる。その結果、「オスマン・トルコ帝国」は、解体される。


サイクス・ピコ協定とは、大戦中の1916年、英・仏を中心に、ロシアなどが加わって決められた秘密協定である。この協定を転換点に、中東アラブ諸国は、西洋列強の思惑で、勝手に分割・分断され、植民地化の道を歩むことになる。よく、中東アラブ諸国の国境線が「直線的」だといわれるが、その原因は、サイクス・ピコ協定にある。


「イスラム国」の政治的主張に、「サイクス・ピコ協定によって画された秩序の打倒」が掲げられていることは、アラビア諸国、あるいはイスラム諸国と欧米先進国との間に横たわる歴史的、宗教的、政治的問題の存在を、象徴的に示しているのだ。


言い換えれば、「イスラム国」を犯罪集団、テロリスト集団と見ることは、西洋中心主義的、欧米中心主義的なものの見方ということになる。サイードが言う「オリエンタリズム」である。「イスラム国」は、決して単なる犯罪集団、単なるテロリスト集団であるわけではない。それは、欧米社会が作り上げた恣意的な「イメージ」に過ぎない。


安倍政権のスタッフや安倍政権を盲目的に支持するネット右翼が、「イスラム国」は国家ではないとか、単なる犯罪集団だと言い張るということは、欧米社会の西洋中心主義的な価値観を受け入れ、それをモノマネをしているに過ぎない。


むろん、西洋中心主義、 欧米先進国中心主義という現在の国際社会的秩序に従うという、そういう政治的選択が間違っているわけではない。それが政治的リアリズムというものだろう。しかし、「国際社会と協調して・・・」という言葉の背後には、一言では言い尽くせない中東諸国とそこに住む人々の怒りと絶望と悲しみが、隠されているのだということを知るべきだろう。

(続く)


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