文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

勇気ある決断。理研調査委と早稲田大学調査委との差異は何処にあるか?それは、マスコミ主導の世論に迎合するかどうかの差異である。理研は、「小保方晴子バッシング」という東大教授やマスコミ主導の世論に迎合し、「研究不正を行ったのは小保方さん一人です」と、ろくに調査もせずに、結論づけて 、火に油を注ぐことになったのである。早稲田大学調査委は?

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理研は、研究より、Nature論文や博士論文の不備という教育問題を重視し、マスコミ主導の世論に迎合することで、当面の難局を乗りきれると判断して、逆に墓穴を掘ることになった。理研の理事長も調査委も、そして改革委も、東大教授たちやマスコミの言いとおりにすれば、世間も政府も、納得すると思ったのだろう。それが間違いだった事は、その後の展開を見れば、明らかだろう。


世間が「小保方晴子潰し」の策謀に潜む「女性差別」と「学歴差別」を許さなかったのである。そして、世間や世論の動向に敏感な政治家たちが、それらを許さなかった。分子生物学会の大隅典子らを筆頭に、政治家の介入を批判したが、藪蛇だった。理科系の研究予算を握っているのは政治家であり、政治家は国民から集めた税金を預かっている。東大教授や一部の研究者の思い通りにはいかないのである。


さて、早稲田大学 調査委の決断である。早稲田大学調査委は、安易に、東大教授やマスコミ主導する世間の「小保方晴子バッシング」に迎合しなかった。昨日(7/17)の「学位剥奪せず」という発表を見て、またまた、東大=京大系の教授や学生や博士浪人たちが、大騒ぎである。


彼らが、期待し、待ち望んでいるものが、何であるかは明らかだ。「科学」や「研究」の発展ではなく、「就職問題」であり、「学閥問題」であることは、明らかだ。早稲田大学だけが、就職問題や教育問題より、研究や開発を重視したのである。


以下の毎日新聞の記事は、早稲田大学調査委の決断に批判的である。そこに登場している榎木英介(近畿大学医学部講師)という人物の経歴をみれば、よく分かる。榎木英介は、東大理学部大学院中退の科学者落第組である。その後、神戸大学医学部に再入学、医師資格を得て、現在にいたる。


榎木英介が、どういう意見の持ち主かは、言うまでもなく、明らかだろう。小保方晴子博士や早稲田大学調査委を擁護するはずがないのだ。こういう偏った意見の持ち主を、公平な第三者のごとく、インタビューして記事化する毎日新聞の意図も明らかだろう。言うまでもなく、毎日新聞は、「STAP細胞事件(小保方事件)」の当初から、山梨大学教授=若山照彦理研内部の秘密の暴露情報を盲信し、「小保方晴子バッシング報道」を主導してきた新聞である。


万能細胞:STAP論文問題 小保方氏博士号取り消さず 榎木英介・近畿大講師の話=毎日新聞 2014年07月18日 

 

◇世界で信頼失う−−研究不正問題に詳しい榎木英介・近畿大講師(病理学)の話

 不正認定しながら博士号は剥奪しないというのであれば日本の博士号は世界で信頼を失う。納得しがたい結論だ。小保方氏以外の博士論文にも不正があった場合、取り消しが続発しないよう予防線を張ったように受け取れる。ずさんな論文で博士号を取ったことがSTAP問題の遠因になっており、小保方氏の責任を明示すべきだった。


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■コメントより。

久米秋三郎 2014/07/18 03:40
山崎行太郎論序説(17)「本物か偽者か」



山崎氏のブログ「毒蛇山荘日記」7月17日付の最後の記事を読んで、私はふと気になって、山崎氏の「小保方擁護論」最初期の記事を探した。今年3月12日の記事だった。そこには冒頭、すでに、こう書かれていた。

《「小保方騒動」の背後には東大閥=京大閥からの「学閥戦争」が見え隠れする。》

続けて山崎氏は、山崎氏が「小保方騒動」の背後に「学閥戦争」を感じ取った時の模様を次のように書いた。

《僕は、ips細胞でノーベル賞を受賞した京大教授某氏が、「報道ステーション」に出演した番組を見た時、異常に興奮して、stap細胞に対抗して、ips細胞の価値を力説する姿を見て、何か、「不吉なもの」を感じた。》

私がここで強調したいのは、すでに山崎氏は、最初期の3月12日の時点で、「学閥戦争」を見抜いていた、ということだ。この7月までに、私たちは「小保方バッシング」を嫌というほど見てきた。それは執拗で悪意に満ちたバッシングで、まるで手品のように手を変え品を変えて継続されてきたが、もはや「バッシング」側は馬脚を現した、完全な負けだ。彼らはそれを認めないが、認めないのは、バッシングを先導した連中だけであり、大方の国民にとって、東大=京大の権威は、地に落ちた、裸の王様だということを理解した。

報道ステーション」に出演した京大の山中教授を見て、「何で山中教授は、今この番組で、stap細胞をさほど賞賛することなく、ips細胞を擁護しているんだ?」くらいは思った人もいるかもしれない(私もたまたま見てそんな風に思った)。しかし、山崎氏はそこに「不吉なもの」を感じ取った。そしてその自らの直感に導かれて一貫して小保方博士を擁護してきた。なぜ山崎氏は、そのように感じ取ることができたのか。

あるいは、山崎氏にとっては当たり前のことなのかもしれない。山崎氏の問題意識が、「マルクス的思考」と「エンゲルス的思考」との(一見微妙な)差異であってみれば、山中教授の「顔」から、「科学」と「科学主義」との差異を嗅ぎ分けることは、山崎氏にとってはさほど困難なことではなかったのかもしれない。

早大理工学部よ、早稲田大学の学問的レベルを愚弄し続けた東大=京大閥の馬鹿どもとの本格的な学閥闘争に立ち上がれ!!!》

上の一文は7月17日の最後の記事にある。これは小保方博士が早稲田大学出身であり、「小保方博士バッシング」にかこつけて、東大=京大閥の連中が、早稲田大学を不当にも、散々に罵倒したのだから正当な主張だ。しかし、なぜ早稲田出身でもない山崎氏が、早稲田大学理工学部に、学閥闘争を呼びかける必要があるのか。それはとても根が深い問題と関わっている。

「科学」と「科学主義」の差異、一見微妙な差異は、根が深い、とても重要な問題なのだ。東大=京大閥=科学論壇=保守論壇、形骸化しているのだ。腐っているのだ。山崎氏自身がブログで一貫して主張していることは、すべて、「科学」と科学主義」あるいは、「マルクス」と「マルクス主義」に関わっている、と私は思う。端的に言ってみよう、それは、本物か偽者か、という問題だ。

2012年3月4日の山崎氏のブログ記事を見てみよう。ここで山崎氏は、「芭蕉にとって、旅とは死を前提にした旅だった。」と書き、続けて次のように書く。

《作品がすべてではない。むしろ、「生活」、ないしは「生き方」がすべてだ、そういう覚悟が芭蕉の文学精神だと思われる。僕は、最近の文学が見失ったものがそこにあると考えた。むろん、これは文学者だけの問題ではない。政治家や政治評論家、ジャーナリストにもそのまま当てはまるはずである。》(2012・03・04)

山崎氏がここで問うているのは、「生き方」だ。私自身も、こうして山崎氏を「解釈」して悦に入っている訳ではない。「生き方」を私たちは、山崎氏に問われているのだ。東大閥=京大閥、「保守論壇」「科学論壇」をのさばらせてきたのは、私たちに他ならない。(つづく)

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