文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

イデオロギー的思考から存在論的思考へ。私が『保守論壇亡国論』で言いたかったこと。

9/26『保守論壇亡国論』出版記念イベント
山崎行太郎ー岩田温講演会」のお知らせ。
誰でも出席出来ます。希望者は「月刊日本」編集部(電話03-5211-0096)までご連絡ください。(会場ー池袋東口1分、ハロー会議室。会費\500。)


保守論壇亡国論』9/14、書店販売開始!!!


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柄谷行人に『戦前の思考』という本がある。問題はタイトルである。「戦前の思考」とは、「結果」が分かってからの結果論的思考ではない。いわば、事件や出来事の「渦中で」思考するということである。もちろん、暗闇の中で、紆余曲折、右往左往しながらのジグザグな思考である。しかしこれがなかなか難しい。誰もが、失敗を恐れて、理路整然と思考したがる。現実やものより、理論や概念に頼る。その結果、空疎な観念論に陥る。これがイデオロギー的思考である。渦中で思考していると思っていても、思考そのものは、結果論的な常識や偏見まみれているものだ、だから、物を見ることが出来ない 。つまり物が見えない。「正論」や「真理」「正義」・・・を声高に語る人は、この手の物の見えない人たちである。こういう物の見えない人たちは、集団化し、同じ言葉を、念仏のように異口同音に唱和し、それで満足する。それは「戦後の思考」に他ならない。共産主義的思考、共産党的思考がその典型である。常に正しいと錯覚していることが出来るのだ。この手の思考は、ハイデガー的に言えば、「存在を見失っている」のだ。だから常に正しいと錯覚していられるのだ。左翼にしろ右翼にしろ、政治的思考には、この種の思考が多い。政治家の中にも、こういう「イデオロギー的思考」をする人は少なくない。私は、小沢一郎という政治家は例外的に「戦前の思考」、私の言い方で言うと「存在論的思考」、つまり「渦中で思考すること」ができる人だと思っている。もちろん、今でも、そう思っている。しかし残念ながら、最近の小沢一郎は、長い裁判闘争の結果、存在論的思考からイデオロギー的思考へと流されつつあるように見える。それでは一部のフアンや信者の心は掴むことは出来ても、一般国民大衆の心を掴むことは出来ないだろう。(続く)


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