文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

『保守論壇亡国論』(近日発売!!!)・・・自民党圧勝=安倍独裁政権は、日本を何処へ導こうとしているのか? 安倍政権の今後を占う上で重要なのは、安倍首相が心服するらしい「保守論壇」の動向である。最近の保守論壇はどうなっているのか?保守論壇の思想的劣化、地盤沈下は、いつから始まったのか?

dokuhebiniki2013-07-27


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 あらゆる思想がそうであるように、流行となり、隆盛を極めると同時に、思想は堕落し、大衆化と通俗化を免れない。いや、逆かもしれない。保守思想が堕落し、通俗化、概念化したからこそ、「流行」となり「隆盛」を極めているのかもしれない。
いずれにしろ、私は、多数派を形成しているとはいえ、現在の保守論壇や保守思想家たちに批判的である。むしろ、そこに現代日本の悲劇と混迷の原因があるのではないか、と考える。
さて、私は「保守論壇」や「右翼論壇」を批判するが、「左翼論壇」を擁護しているわけではない。私は、まず「左翼論壇」を批判し、その後で、保守論壇を批判しているつもりだ。つまり、保守論壇が「左翼化」し、保守論壇が「イデオロギー化」しているから批判しているのだ。
 繰り返すが、私は、かつて保守論壇が好きだった。明らかに論壇やジャーナリズム、アカデミズムでは「少数派」ではあったが、保守論壇で孤軍奮闘する保守思想家や保守ジャーナリストを高く評価していた。たとえば、小林秀雄福田恒存、田中美知太郎、さらに三島由紀夫江藤淳、あるいは永井陽之助高坂正尭・・・などの思想や言説、行動を、尊敬と畏怖の念を持ちつつ、仰ぎ見ていた。
 しかし、小林秀雄福田恒存江藤淳等が活躍していた時代から、彼等が論壇やジャーナリズムの一線を退き、まさに論壇から退場するにいたって、保守論壇の様相は大きく変わった。保守思想家や保守政治家は反乱しているが、そこには、私が、かつて読んだり見たりしていたような保守思想はない。
確かに「何か」が変わった。では、いったい、保守論壇の「何」が、「どう」変わったのか。私見によれば、それは、一言で言えば、保守論壇の空洞化である。
 私が、問うのは、その「何か」である。そこには、学問や思想、政治、経済が直面する根本問題が潜んでいると、私は考える。
 私の結論を述べるとすれば、それは、昨今の保守思想家たちに「作品」と呼べるような仕事=業績がなくなったことである。
 たとえば、小林秀雄には「小林秀雄全集」や「ドストエフスキー論集」がある。福田恒存には「シォイクスピア翻訳全集」や「演劇」があり、田中美知太郎には「プラトン翻訳全集」や「ギリシャ哲学研究」がある。江藤淳には「夏目漱石論」や「小林秀雄論」、三島由紀夫には膨大な量の小説や演劇を集めた「三島由紀夫全集」がある。
 彼等は、政治評論や政治思想論を展開し、保守論壇で孤軍奮闘するかたわら、左翼や革新派を含めて、誰もが認めざるをえないような、専門的な仕事=業績を残している。それらは、左翼とか右翼・保守とは関係ない。左翼陣営も、認めざるをえないような仕事=業績である。
 ところで、昨今の保守論壇で活躍する保守思想家たちの仕事=業績はどうだろうか。
 「作品」の名に値する仕事=業績があるだろうか。彼等には、「政治的雑文」「情勢論的雑文」はあるが、「作品」はない。
 そこに、昨今の保守思想家たちの限界と悲劇、つまり思想的劣化という病理現象がある、と私は考える。それは、そのまま現代日本の政治や政治家たちの「劣化」にもつながっている。
 私は、ここで安倍晋三首相を筆頭に、いわゆる保守政治家たちを批判するつもりはない。だが、たとえば、安倍首相の政治家としての限界と悲劇は、明らかである。あまりにもその政治的言動が軽すぎるのである。その根本原因は、安倍首相が妄信し、影響を受けている「保守論壇」や「保守思想家」たちにあると、私は考える。
 保守論壇が劣化しているからこそ、その影響を受けた保守政治家たちも同じように劣化しているのだ。
では、何故、保守論壇や保守思想家たちは「劣化」しているのか?
 つまり、なぜ、昨今の保守思想家たちには「作品」がないのか。
 それは、彼等が、作品を創造するうえで不可欠の「虚無」や「深淵」を覗き見たことがないからではないか。
 「虚無」とは何か。「深淵」とは何か。小林秀雄は『ドストエフスキーの生活』で、「深淵」について書いている。
 ≪「怪物と戦ふものは、自ら怪物にならない様に気をつけなくてはならぬ。あんまり長く深淵を覗き込んでいると、深淵が魂を覗き込みはじめる」とニイチェは「善悪の彼岸」で警告したが、かつて自ら怪物とならずに怪物と戦った人がゐただろうか、深淵に見込まれずに深淵を理解した人が。≫
 昨今の政治家や思想家、評論家、ジャーナリストたちが軽薄な言動を繰り返すのは、ニーチェ小林秀雄の言う「深淵」とぶつかり、向き合ったことがないからだろう。 
 かつて保守論壇で活躍した保守思想家たちは、「考える人」であった。だからこそ「虚無」や「深淵」を覗き見ることが出来たのであり、同時に「作品」を生み出すことが出来たのである。(続く)


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