文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

保守論壇亡国論序説ー三島由紀夫の「特攻隊コンプレックス」について。

私は、文学や思想というものは、西尾幹二をはじめ、保守論壇三島由紀夫信者たちが考えるほど単純素朴なものだとは思わない。三島由紀夫の思想を、「三島事件」からのみ考えることは間違っている。三島由紀夫は、「生命尊重のみで魂は死んでもよいのか」と、自決当日、まいた「檄」文に書いている。しかし、その三島由紀夫の立派な、勇ましいその思想の背後には、誰にも言えないような「哀しい体験」が隠されている。三島由紀夫の父親、平岡梓が書いた『倅・三島由紀夫』には、三島由紀夫が、昭和20年2月、大学1年の時、いわゆる「赤紙」を受け取ったことが書かれている。
赤紙を受け取った三島由紀夫と父は、早速、本籍地のある兵庫県に向かった。敗戦を目前にして、「入隊検査」を受けるためである。おそらく合格すれば、間違いなく、特攻隊の一員として命を落とすことになる。母親は、それを直感して、涙顔で、乱れ髪のまま玄関まで出て来て見送った。
この時の様子を、父・平岡梓は、『倅・三島由紀夫』で書いている。

《翌日、無理を押して受検に出かけましたが、結果は不合格で、「即日帰郷」となりました。
(中略)
それから別室で軍曹から「諸君は不幸にして不合格となり、さぞ残念であろう。決して気を落とさず今後は銃後にあって常に第一線に在る気魄をもって尽忠報国の誠忘れてはならない」云云と長々とした訓示を受けました。訓示がすむのを今やおそしと待ちかまえていた僕は、すんだ途端に出口の兵隊さんのところに走り寄り、「もうこれで今すぐまっすぐ東京の家に帰っていいのですか」と馬鹿念を押して外に飛び出しました。
(中略)
門を一歩踏み出るや倅の手を取るようにして一目散に駈けました。早いこと早いこと、実によく駈けました。どのくらいか今は覚えておりませんが相当の長距離でした。しかもその間絶えず振り向きながらです。
(中略)
やっと小川の土橋のところで二人は丸太に腰をかけて小休止をとりました。
(中略)
駅に着くと、汽車の入って来るのをやきもきしながら待っておいました。汽車に乗るとやや落ち着きを取戻し、段
々と喜びがこみあげてきてどうにもなりませんでした。》


これが、三島由紀夫親子の「もう一つの姿」である。話にはいくらか誇張もあるだろうから、割引いて考えたとしても、おそらくたいした違いはないだろう。無論、後の三島由紀夫からは想像もできないことだが、三島由紀夫は兵隊検査場から逃げ帰った男である。これもまた真実である。思想も文学も政治も単純ではない。それが分からなければ、人間の本質に迫ることは出来ない。
いずれにしろ、西尾幹二を筆頭に、三島由紀夫の行動と死を美化し、偶像化するだけの昨今の保守論壇に棲息する保守思想家たちが、三島由紀夫の真の姿を見ようとしていないことだけは確かである。




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