文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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柄谷行人論序説(10)

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柄谷行人広松渉
柄谷行人の『世界史の構造』や『哲学の起源』を前にすると、どうしても「理論的」「原理論的」「抽象的」・・・にならざるを得ない。なるほど、柄谷行人という存在を理解するためにも、「理論的」「原理論的」「抽象的」な思考は重要だろう。しかし、そこにとどまり、そこにこだわりすぎると、柄谷行人を見失うことになる。柄谷行人は、『畏怖する人間』や『意味という病』などの初期の文藝評論集の頃は別として、『マルクスその可能性の中心』や『日本近代文学の起源』の頃から、明らかに「理論的」「原理論的」「抽象的」・・・な思考傾向に傾いていく。それと同時に、柄谷行人という存在は、文壇内部の人ではなくなり、ジャーナリズムやアカデミズムなどで一段と人気がまし、多く の読者を獲得していく。逆に、文学関係者や文壇からの柄谷行人への言及は減少する。この頃から、「柄谷行人は文学の世界から哲学・思想の世界へ移行した」と言われることも多くなっていく。特に、マルクス研究や哲学研究を重ねていくにつれて、柄谷行人を語る人は、思想界、アカデミズムの人が多くなっていく。つまり「理論家」としての柄谷行人が注目を集めていくことになる。
しかし、私は、柄谷行人を、「理論」や「原理論」的なレベルからのみ語ることには反対である。そういう見方では、明らかに、柄谷行人の本質を見失っていくことになるからである。たとえば、『世界史の構造』や『哲学の起源』を批評したり、語ったりする人たちは、浅田彰大澤真幸等を筆頭に社会学者や哲学研究者・・・が少なくない。文学関係者はいるにいるが、きわめて少ない。
柄谷行人は、広松渉の『〈近代の超克〉』の解説を書いているが、そこでかなり重要なことを言っている。つまり、広松渉という「哲学者」の思想傾向の二重性・二面性について、こう書いている。

≪本書は、広松渉が日本の哲学および批評にかんして書いた、私のしるかぎり唯一の本である。広松氏といえば、『存在と意味』に代表される原理的な書物か、またはマルクスあるいはマルクス主義に関する書物によってのみ知られている。それらはほとんど日本的な文脈をもっていない。広松氏は日本の歴史あるいは状況に無関心であるようにさえ見える。だが、本書を読む者は、いかに広松氏がそれに通暁しているかを知って驚かされるだろう。/ここには歴史家の眼がある。さまざまな文献や微細な人間関係におよぶ周到な目配りがある。・・・≫(柄谷行人、「広松渉著『〈近代の超克〉論』解説」)

同じことが、柄谷行人自身についても言えるように思われる。柄谷行人がここで言っていることは、こういうことだ。広松渉の思考と著作は、明らかに原理的、抽象的だが、同時に実践的、現実的でもある、ということである。要するに、原理的、抽象的であることと、実践的、現実的、つまり「歴史的」であることが矛盾せずに共存している。そして、付け加えるならば、だからこそ広松渉の思考と著作は、「生きている」というわけだろう。
柄谷行人は、つづけてこう書いている。

≪それは、たとえば本書にも引用されている平野謙のように、文壇史的な心理的なタイプの批評家が見出すものとは似て非なるものだ。平野謙にとって、歴史は原理的なものとは別なところにある事実のことである。だが、広松氏にとって、歴史を超えた一般的な原理などはない。先にいった「原理的」な仕事もある意味では歴史的な仕事なのである。したがって、本書が文字どおり歴史的な書物だからといって、原理的なものの脇で書かれた別種の仕事だということはない。これはそれ自体原理的な仕事である。≫;(同上。)

事実を寄せ集めることだけに専心する歴史家は、歴史を貫徹する原理というものに無関心であり、あるいは逆に原理論ばかりに関心を向ける歴史家は、現実や歴史的実践を黙殺する。広松渉は、その両者でもない。つまり広松渉のなかには、原理論と歴史的実践が共存している、というわけだ。そして、そこに広松渉の「偉大さ」があるというのだが、これが、そのまま柄谷行人の思考にも言えるはずである。
■原理と歴史
 柄谷行人の『世界史の構造』や『哲学の起源』を読んでいると、柄谷行人は「原理論」や「理論」だけの人に見えてくる。しかし、よく読んでいくと、単なる「原理論」のための原理論でも、「理論」のための理論でもないことが見えてくるはずだ。たとえば『哲学の起源』では、ギリシャ古典哲学を論じている。イオニアのイソノミアとアテネのデモクラシーを比較している。一見すると、今、ここの、この世界の現代的問題とは無縁に見える。しかし、柄谷行人の場合、そういうことはない。ギリシャ哲学を論じることが、現代的であり、実践的なのである。
言い換えれば、原理論的に優れているからこそ実践的、歴史的であり、実践的、歴史的であるからこそ、その原理論的思考が、深く、問題の本質に分け入っていくことが可能になる。 おそらく、そこに柄谷行人柄谷行人エピゴーネンを分けるポイントもある。たとえば、かつては柄谷行人のよき理解者であり、よき解説者だった浅田彰。最近では大澤真幸。しかし、柄谷行人と、浅田彰大澤真幸は決定的に異なる。柄谷行人の著作を読むように、浅田彰大澤真幸の著作を読むことが出来るだろうか。少なくとも私は、まったく読めない。読む気も起きない。単なる原理論であったり、単なる歴史論であったりするだけだからだろう。
そういう意味では、私が繰り返して言うように、柄谷行人は、あくまでも、小林秀雄江藤淳の系譜に連なる「文芸評論家」である。

  ≪たとえば、近代の哲学は「近代」という歴史性のなかにある。それが超歴史的に妥当性をもつと思いこむことが、まさに近代哲学に閉じ込められていることにほかならない。すると、原理的な批判的考察はそれ自体歴史的考察とならざるをえない。それはすでにヘーゲルの認識していたことでもあった。だが、それはただちに一つの原理となる。それを批判し、世界を把握するどんな原理や言説も、緒関係からなる歴史的世界に属するしそれを超越しえないというのがマルクス的な「原理」であった。だが、この原理は、たえまない自己検証を要求する。世のマルクス主義者はそれが自分自身に妥当することを忘れてきたのである。広松氏がいいつづけてきたのは、マルクスがこの「近代」的な思考の界 域を真に越える「地平」をもたらしたということだが、それはけっして何かてっとり早い原理としてあるのではない。≫(同上。)

 原理は実践、歴史の中にある。歴史という実践の場所なしに原理はない。マルクス主義者たちも、そして多くの学者、思想家たちも、このことが理解できなかった。「世のマルクス主義者はそれが自分自身に妥当することを忘れてきたのである。」という言い方は、系譜的に言えば、明らかに小林秀雄の受け売りである。しかし、そのことに自覚的である点に、柄谷行人の本質がある。これが、「マルクス小林秀雄柄谷行人」的な「唯物論的転倒の哲学」である。

柄谷行人西尾幹二
西尾幹二が、「will」3月超特大号に、「安倍政権の世界史的使命」というエッセイを書いている。柄谷行人の『世界史の構造』を意識したのかどうか知らないが、「世界史的使命」というタイトルに、西尾幹二の意気込みが感じられる。が、しかし、それが「安倍政権の・・・」と安易に結びつくあたりに、西尾幹二の思想的通俗性、思想的堕落を感じる。私は、保守論壇の劣化批判を繰り返して来たとはいえ、西尾幹二だけは別だろうと思って来た。しかし、この西尾幹二の「安倍政権の世界史的使命」を読んで、西尾幹二もまた、駄目だなと思った。「世界史的使命」とは、いくら自民党の政権復帰や、お気に入りの安倍政権誕生に感激したとはいえ、大げさである。戦前の京都学派の「世界史の哲学」や「総力戦の哲学」 などが念頭にあるらしいが、思考が雑過ぎるように思われる。しかも、民主党政権が「全共闘政権」だったと批判しているのだが、世代論的な記号である「全共闘」という言葉を、政治批判の道具、政治批判のレッテル貼りに使うあたり、西尾幹二もまた、渡部昇一桜井よしこ中西輝政らとともに、「ネット右翼」レベル以下の「一周遅れの通俗的保守思想家」に過ぎなかったと言わざるをえない。安倍政権の悲劇は、こういう「ネット右翼」レベル以下の「一周遅れの通俗的保守思想家」しか取り巻きにいないところにある。
そこで、ついつい、西尾幹二を、同じく文芸評論家として出発し、現在は政治思想や政治哲学の分野でも活躍する思想家・柄谷行人と比較したくなる。柄谷行人の場合、その思考の原点は「文学」である。具体的に言えば、小林秀雄江藤淳の「批評」である。だから、柄谷行人は昨今の文学にも無関心ではない。たとえば、今、私の手元に『近代文学の終わり』という書物がある。最新作『哲学の起源』も掲載誌は文芸雑誌「新潮」である。また、昨年は「秋幸または幸徳秋水」という中上健次論も「文学界」に発表している。柄谷行人が文学を捨てていないということが分かるだろう。
それに対し、西尾幹二の場合はどうだろうか。文学作品を真剣に論じることも、文芸雑誌に登場することもない。西尾幹二西部邁桜井よしこの思考は、江藤淳柄谷行人の思考とは、決定的に異なっている。西尾幹二西部邁桜井よしこの思考は「イデオロギー的」「現象論的」だが、江藤淳柄谷行人の思考はイデオロギー的・現象論的ではなく、「存在論的」「原理論的」だからだ。西尾幹二西部邁桜井よしこの思考には、「存在論」や「原理論」がない。
 実は、西尾幹二等と柄谷行人の「差異」「落差」の意味するところは、かなり大きい。私は、そこに柄谷行人の本質を解く鍵が隠されていると思う。


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