文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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柄谷行人論序説(8)

■普遍宗教について。
 柄谷行人の批評や思考をたどっていくと必ず宗教的な問題に直面していることが分かる。むろん、「畏怖する人間」も「宗教的人間」と言い換えることも出来る。しかし、それは、一般的な意味での宗教とは少し次元が異なる。つまり、「神」の実在を信じるか、信じないかのレベルの共同体的な、伝統的宗教ではない。いわば宗教が哲学であり、哲学が宗教であるような意味での宗教である。いずれにしろ、柄谷行人の思想の原点には宗教的なものがある。柄谷行人の思想的立場は、「宗教から科学へ」に対して「科学から宗教へ」である。柄谷行人はいっている。
《『世界史の構造』を書いたとき、僕は、交換様 式Dは普遍宗教としてあらわれるということを強調しました。しかし同時に、交換様式は普遍宗教を通してだけではない。哲学としてもあらわれたのではないか、と考えたのです。》
(「週刊読書人」2013/1/4)
 『哲学の起源』で、イオニアの哲学を論じたのは、「交換様式D」の実現を普遍宗教としてではなく、哲学として論じようとしたからである。しかし、ここで言うイオニア哲学も普遍宗教も異なるものではない。
 たとえば柄谷行人は、『哲学の起源』でこう言っている。
老子孔子の教えはその後に新たな宗教を開くものとされた。しかし、そもそも彼らはそれまでの宗教を否定する自由思想家であった。その点でイスラエル預言者やイオニァの自然哲学者たちと何ら変わると ころはない。宗教、哲学、科学といった今日の分類に従うかぎり、紀元前五、六世紀に起った世界史的な「飛躍」は到底理解することができない。それらはいずれも人類史における交換様式Dの出現を画しているのである。私がイオニアに始まる「哲学」について考え直すのは、以上の理由からである。》
(『哲学の起源』序論P15)
つまり「交換様式D」の主導する社会の出現は、「宗教的」な飛躍を必要としているということだ。しかし、ここで柄谷行人が言う「宗教的なもの」とは、決して、いわゆる伝統的な「宗教」のことではない。それは、一見、宗教と対立したり、あるいは宗教とは無縁に見えたりするような、そういう、もつと根源的な宗教である。
 柄谷行人は、それを「普遍宗教」と呼 ぶ。
《先に、私はAを遊動社会にあった平等性の脅迫的な回帰として説明した。Aが人間に対して脅迫的な義務としてあらわれたように、Aを否定することもまた人間の意志を越えたものでなければならない。つまり、人がAの回復を願うことによって、Dがあらわれるわけではない。Dはむしろ、神あるいは天によって人間に課された「義務」としてあらわれる。いいかえれば、Dは、呪術的=互酬的な宗教を否定する、普遍宗教として到来したのである。》
(『哲学の起源』附録P240)
柄谷行人が『世界史の構造』で預言する「交換様式Dの出現」は、「人間の意志」で実現されるわけではない。柄谷行人は、そこには宗教的なものが不可欠だという。つまり、「Aが人間に対して脅迫的な義務とし てあらわれたように、Aを否定することもまた人間の意志を越えたものでなければならない。つまり、人がAの回復を願うことによって、Dがあらわれるわけではない。Dはむしろ、神あるいは天によって人間に課された「義務」としてあらわれる。」というわけである。
「交換様式Dの出現」には、宗教が欠かせない。その宗教は「普遍宗教」である。では「普遍宗教」とは何か。たとえば、社会主義運動もまた宗教的な運動だった。
《普遍宗教は交換様式Dを実現しようとするものであるから、本性的に社会主義的な運動であった。実際、十九世紀半ばにいたるまで、世界各地の社会運動は、普遍宗教という衣装のもとでなされてきたのである。それ以後、社会主義運動は宗教性を否定して、゛科学的゛と なった。が、そのような社会主義は結局交換様式BやCが支配的であるような社会しか実現しなかったため、魅力を失ってしまった。にもかかわらず、交換様式BとCが支配的であるかぎり、それらを越えようとする衝迫が絶えることはない。つまり、何らかのかたちで、交換様式Dが追求される。それはしかし、宗教的なかたちをとるほかはないのだろうか。》(『哲学の起源』P241)
 ここに柄谷行人の思考の独特さがある。社会主義運動は、「宗教から科学へ」と転換した時点で新しい科学的地平を切り開いたかもしれないが、宗教性を切り捨てることによって「魅力を失った」という。社会主義革命や共産主義革命が色褪せ、信用をなくしていったのは、そこに原因があった。つまり、柄谷行人による と、社会主義革命や共産主義革命が、「戦争と革命」の二十世紀を経て、二十一世紀になり、「革命の時代」が終わったかに見えるのは、そこに宗教性がなくなったからだ。だから、柄谷行人のいう「交換様式D」は、宗教的な行為として、つまり普遍宗教的な行為として、実現される。
■神強制の宗教の終焉。
普遍宗教とは何か。柄谷行人は、ユダヤキリスト教を実例にして説明している。
《昔、僕は高校生のときに『旧約聖書』の「ヨブ記」を読んで、何かへんだなと思ったことがあります。それは信仰深いヨブが神に試されて、途中で怒ったり恨んだりしながら、最終的に神への信仰を保つというような話です。信仰とは一般において、自分は正しいことをして神を信仰していればいいことがあるは ずだという、つまり贈与とそれに対するお返しがあるようなものとして考えられているわけですが、そされに対して「ヨブ記」が表しているのは、信仰とはお返しがないものだということですね。信仰は、そのことで何かが得られるものではない。何も得られないものであるが故に信仰する。そういう信仰を提出してきています。》(『言葉と悲劇』「単独性と個別性について」P309)
 これは、ヨブが、妻や子供、家畜など、すべてを失ったにも関わらず、「信仰」を捨てなかったという話だ。つまり「贈与」と「返礼」という交換様式に対して、「お返し」や「御利益」を求めない交換様式を意味している。言い換えれば「純粋贈与」である。ここで成立する宗教が普遍宗教である。つまり、ユダヤ・キリ スト教は、この意味での「普遍宗教」だといっていい。むろん、後にユダヤキリスト教も、共同体の宗教にとしてユダヤ民族の宗教に転化し、普遍宗教としてのユダヤ教の本質は忘れられてしまう。しかし、普遍宗教の本質をユダヤキリスト教が体現していること明らかである。
 柄谷行人は、この普遍宗教の本質を「神強制の断念」としてとらえている。
《神強制の断念ということはいかにしてありうたのか。その一例はユダヤ教の成立過程に見出される。》
 それは、モーゼがエジプトから脱出する場面である。
《事実、ソロモンの後に分裂した二つの王国の一つ、イスラエル王国が滅んだとき、神は捨てられた。つぎに、ユダヤ王国が滅んだときも同様である。ただ、このとき、捕囚としてバビ ロンに連れて行かれた人々の間で、未曾有の事態が生じた。つまり、戦争に敗れ国家が滅んでも、神が棄てられず、逆に人間にその責任を問うような転倒が生じたのである。それが「神強制」の断念であり、宗教の「脱呪術化」である。》(『哲学の起源』P9)
 それは、神と人間の関係の互酬性を否定することである。言い換えれば、神と人間の関係を根本的に転換することである。 
《ここでウェバーがいうことを「交換様式」の観点から見れば、脱呪術化は、神と人間の関係において互酬性が放棄されるということを意味する。これは実は容易なことではない。たとえば、今日のどんな世界宗教にも、祈願というかたちで「神強制」が残存している。だから、もし神強制が断念されるということが起こ ったとしたら、それは世界史的な事件だというべきなのだ。》(『哲学の起源』P7)
 実は、その大事件が起こったのである。しかも世界的規模で。


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