文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

孫崎的な素朴・幼稚な「対米自主派/対米追随派」の二元論は 百害あって一利なし。孫崎が「対米自主外交のヒーロー」として持ち上げる重光葵は、「再軍備派」 として米国CIAやジャパンロビーと共同戦線を組んだが、重光葵のあまりの政治的無能振りに、米国CIAやジャパンロビーにすら見棄てられたというのが実状であった。「自主外交」「再軍備」「憲法改正」・・・は、無知無能な ダメ政治家・重光葵の「たわごと」「負け犬の遠吠え」に過ぎない。「重光葵自伝手記」の自慢話を鵜呑みにして、重光葵を持ち上げる孫崎には、政治や人間の裏表


孫崎は、重光葵を評価する参考資料として、ほぼ全面的に「重光葵自伝」とも言うべき『続 重光葵手記』に依存し、それを無批判に使っている。孫崎には、政治家や経済人、軍人などの「自伝」や「手記」「自分史」・・・というものが、資料としてはあまり信用できないものだという初歩的認識もない。読者の方が、恥ずかしくなるぐらい、重光葵の告白を鵜呑みにしている。ところが吉田茂のことになると、マッカーサーの情報参謀チャールズ・ウィロビーの『ウイロビー回顧録』の中から、犬丸徹三・帝国ホテル社長の談話まで「孫引き」して、吉田茂批判・罵倒に使っている。つまり孫崎享という人物は、資料の使い方、資料の読み方、資料に対するテクスト・クリテイーク・・・が、根本的に間違っていると言わざるを得ない。たとえば孫崎が、重光葵の手記からの引用している文章・・・。

「最上級の幹部たちが、頻繁にマッカーサーのもとを訪れるようになり、みな自分の立場の安全をはかろうとしている」
「最近の朝日新聞をはじめとする各新聞のこびへつらいぶりは、本当に嘆かわしいことだ」
「結局、日本民族とは、自分の信念を持たず、強者に追随して自己保身をはかろうとする三等、四等民族に堕落してしまったのではないか」
(孫崎享『戦後史の正体』)

孫崎は、『戦後史の正体』で、重光葵の立派な言葉の数々を、その『続 重光葵手記』から引用している。さて、重光葵の言葉はまことに立派だが、しかし、それでは、重光葵自身は、どういう行動をとったのだろうか。言葉通りに「立派な」行動をとったのだろうか。
有馬哲夫によると、重光葵の言葉が、口先だけの「タワゴト」だということが分かる。有馬哲夫は、米国公文書館に保存されている「CIA文書」にもとずいて、実証的に、重光葵もまた米軍関係者としきりに接触していることとを、明らかにしている。

こういったジャパンロビーに対する背信行為のため、犬養は吉田と同様ドウーマンやキャッスルに愛想をつかされていた。そこで、浮上したのが、吉田と同じく外交畑において、キャッスルやグルーと付き合いが長い重光だった。とりわけキャッスルは、吉田と違って再軍備に熱心な重光を高く評価し、吉田の後釜にと望んでいた。(有馬哲夫『CIAと戦後日本』p52)

重光がアメリカの吉田に対する高姿勢を利用したように、アメリカもまた再軍備を声高に叫ぶ重光を利用していた。彼を支援すれば、政治情勢が流動的なだけに、再び重光総理大臣の芽がでてくるかもしれない。(『CIAと戦後日本』p45


孫崎が、重光葵の『続 重光葵手記』の自慢話j(法螺話)を、盲目的に信用していることは明らかだ。しかし、言うまでもなくCIAが様々な情報ルートを通じて得た「重光葵」イメージとは、大きく異なっている。CIA情報を、CIAだからということで割引して考えたとしても、孫崎が描き出す「対米自主外交のヒーロー重光葵」のイメージには、無理がある。そもそも戦後史を、チャンバラ映画並みに、善玉の「対米自主派」と悪玉の「対米追随派」の二元論で考える思考法そのものに無理があるのだ。孫崎享の『戦後史の正体』は、20万部か30万部か売れたということが自慢らしいが、そんなことは自慢にも何もなりはしない。本など買うだけで読みもしないような定年退職老人たちに受けているだけだろう・・・。
(続く)


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