孫崎は重光葵を対米自主外交の「ヒーロー」として、つまり 米国の日本植民地支配の「犠牲者」として描いている。では重光葵という政治家は、孫崎が描くような、米国の日本支配と正々堂々と闘った、独立自尊の立派な政治家だったのか?重光葵も米国占領軍の顔色をうかがう「植民地政治家」だったが、政治的才能、政治的資質の「欠如」の故に、政治的に迷走孤立した挙句、「自滅」したのではないのか?そんな「政治家失格」の重光葵を絶賛する孫崎享も、「戦略家失格」「政治ジャーナリスト失格」というほかはない。(写真は台湾の「淡水」という街に
有馬哲夫の『CIAと戦後日本』の第二章に「重光葵は なぜ日ソ交渉で失脚したのか」という文章がある。それを読むと、孫崎享が『戦後史の正体』で描く「対米自主外交のヒーロー」という姿とは違う、もう一人の重光葵の姿が、つまり「対米自主外交のヒーロー」どころか、主義主張はともかくとして、政治家としてまったく無能な、右往左往するしかない、哀れな姿が描かれている。はたしてどちらが正しいのか。たとえば、有馬哲夫は書いている。
《CIAの人物評によれば、重光は政治家というより官僚気質だった。自分の信念を断固貫くタイプではないが、かといってひとびとの意見の対立を調整してうまくまとめていくタイプでもなかった。むしろ偏狭で頑固で党派心が強く、人に好かれないタイプだった。CIAだけではなく日本人にもそう思われていた。》
この重光葵に対する人物評はCIAの側のものである。従ってそのまま鵜呑みにするわけにはいかないだろう。しかし、参考にならないということにはならない。CIAは、かなり早い時期から、重光葵という人物に関心を持ち、重光葵の言動を調査・収集していたからである。このことを、有馬哲夫は次のように書いている。
《G-2(占領軍参謀二部)とCIAは重光が巣鴨プリズンに入ったときから日ソ国交回復交渉に臨むまで、彼の活動を監視し、記録に残していた。この記録には、重光と右翼の大物である児玉誉士夫の関係や、彼らと疑獄事件を起こした保全経済会とのスキャンダラスな関係など、表の政治とその舞台裏に蠢く黒子との関係も書かれていた。(『CIAと戦後日本』p32)》
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★ キャノンという会社の実態!!!(読者からの投稿より)
2011年1月以降、キヤノンマーケティングジャパン(CMJ)と
キヤノンシステムアンドサポート(CSS)というキヤノンの子会社から
約500人が、ホワイトカラーから工場労働者として、
宇都宮、大分、長崎、綾瀬、などという日本各地の工場に、
レンズ研磨工やカメラ組み立て工に職種転換させられ、
かつ、職級も手取り15万円に降格させられた上で、
送り込まれています。目標は1000人ということです。
これは偽装請負問題の回避策として始まりました。
例えば、宇都宮工場では、2007年8月29日にアイラインの
従業員82人を直接雇用すると発表しましたが、
正社員としてではなく、最長2年11ヶ月の「契約社員」
としての直接雇用でした。結果的に、この82人は、数名を除き雇用契約を解除され、
契約終了となり、その方々と入れ替わりになるように、
CMJとCSSの社員を、工場労働者として出向させたのです。
それも、手取り15万円にまで落としてです。職級は1〜5の人たちが集められましたが、
手取り15万円の1にまで落とされました。
1とは、新入社員のランクです。ここで、この1は、1の中でも更に6ランクに分かれており、
その中では最高位に相当しますが、年々、
この1の中で更に降格を行うとのことです。
すなわち、手取り10万円を切るぐらいになりかねない、
ということです。
◆
また、私ごとですが、
宇都宮工場に出向させられるまでに、
懲戒免職か出向か?を選択させられました。また、自宅通勤が可能であるにもかかわらず、
宇都宮に引っ越すこと、一戸建ての自宅を売却すること、
彼女と別れること、等を取締役から命令され、
実際に引っ越さざるを得ませんでした。無論、まだ、自宅は売却しておりませんし、
彼女とも別れておりません。また、懲戒免職を提示された人もいれば、
されなかった者もいますが、
宇都宮工場の約100数十名の中には、
出向の事例に逆らえた方は、一人もいなかったようです。何故ならば、拒否した人は100名強のうち、1名を除き、
その場で退職届を提出し、退職しているからです。
ただし、退職届を提出した方々は、
強制的に書かされたか、自分の意志で書いたかは、
本人とは連絡が取れないため不明ですが、その1名も、精神を病んだ、とのことで除かれたようです。
ですが、都内の戸建てと宇都宮のアパートの2件分を支払いながら、
手取り15万円では、やっていけないのが現状であり、
貯蓄も急激に減少し、数百万円が20万円弱まで減少しました。
もう、戸建て売却まで時間の猶予がなくなりつつあります。
何とか、助けてほしいです。
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