文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

孫崎享とマイケル・グリーン(2)

孫崎享が、マイケル・グリーンを好意的に紹介しているのは『日米同盟の正体』(講談社現代新書、2009/3/20)でも同じである。しかも、一度や二度ではない。孫崎享は、しきりに「戦略的思考に弱い日本」「無知無能の日本人」を強調しながら、つまり日本人の戦略的思考力の欠如を批判・罵倒しながら、その論拠としてマイケル・グリーンの論文を引用しているのだ。つまり、孫崎享の「種本」の一つが、紛れもなくマイケル・グリーンなのである。孫崎享の『日米同盟の正体』から、マイケル・グリーンに言及している部分を引用する。


2001年に国家安全保障会議(nsc)日本・朝鮮担当部長、〇四年同上級アジア部長兼東アジア担当大統領特別補佐官の任に就くなど、米国内で東アジアの専門家として新任されているマイケル・グリーンは、論文「力のバランス」で次のような説明をしている。(中略)

グリーンのこの解説は驚くほど率直である。グリーンは「いまや、この同盟はソ連に対するアメリカのグローバルな軍事封じ込め戦略の中心的な構成部分となった」、日本のシーレーン構想は「欧州におけるソ連の攻勢にに地球規模で対応する」戦略の一環であると述べている。当時、日本政府の関係者の中で、こうした説明を国民に行った人はおそらく皆無だろう。さらに言えば、ぞっとする話であるが、当時、日本政府内に このことを理解していた人はいなかったのではないか。これが日本の安全保障政策の実体である。
米国の戦略を十分に理解しないで米国の戦略に乗っかかっていく日本という流れは、何もこのときに限ったことではない。事態の本質を見極めきれず、米国の表面上の説明を鵜呑みにするという対応は、その後のイラク問題、アフガニスタン問題でも継続している。(中略)

グリーンの議論、特に欧州におけるソ連の攻勢に地球規模で対応するという部分は、日本の政策を考える際には、世界全体の安全保障の状況を考えなければならないことを示す好個の材料である。(『日米同盟の正体』p38−39)

マイケル・グリーンらは樋口レポートに驚きをもって接した。
マイケル・グリーンによれば、ナイは防衛大綱においては日米同盟が日本の安全保障 いとって中心的柱であることが確認されることを願い、多国間主義云々の議論が前面に出るのを心配していた。グリーンはこの事情を象徴的に次の要旨を述べた。(p110)
マイケル・グリーンらは樋口レポートに驚きをもって接した。
マイケル・グリーンによれば、ナイは防衛大綱においては日米同盟が日本の安全保障 いとって中心的柱であることが確認されることを願い、多国間主義云々の議論が前面に出るのを心配していた。グリーンはこの事情を象徴的に次の要旨を述べた。(p110)


マイケル・グリーンは、戦後の日米安全保障関係の特色を「巻き込まれ」と「見捨てられ」という日本をお持つジレンマと位置付けた。1959年北ベトナムラオスに侵入し、日米安保改定の60年は次第にインドシナ情勢が激しくなる時期である。(p122)


マイケル・グリーンは、戦後の日米安全保障関係の特色を「巻き込まれ」と「見捨てられ」という日本をお持つジレンマと位置付けた。1959年北ベトナムラオスに侵入し、日米安保改定の60年は次第にインドシナ情勢が激しくなる時期である。(p122)

以上の文章を見ても分かるように、孫崎享の『日米同盟の正体』には、マイケル・グリーンへの言及が頻出する。頻出するだけではない。マイケル・グリーンの論文が、明らかに孫崎論文の重要な種本になっている。これは、何を意味するだろうか。
それにしてもおかしくはないか。盛んに「アメリカらの圧力」と「CIAの謀略」を告発し、対米自立外交を力説する孫崎享が、その著書では、「アメリカらの圧力」を象徴する人物にべったりなのである。孫崎享マイケル・グリーン。この二人。何か変だなと思うのは僕だけか?


人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ (続きは、『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!有料メールマガジン『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから→http://www.mag2.com/m/0001151310.html