文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「孫崎享批判」を続ける。ちょうど僕が「孫崎享批判」を始めた日、孫崎享は、小沢一郎政経フォーラム(?)とかいうところで、講師を勤めていたようだ。無論、僕は、小沢一郎や小沢一郎フォーラム、あるいは小沢一郎系の政治家たちを批判したかったわけではない。しかし、いずれにしろ、マスコミやジャーナリズムで一時的に持て囃されているとはいえ、孫崎享の政治的言動を単純素朴に「信用」「信奉」するのもどうかと思われる、と言いたいだけだ。

孫崎享の書いた文章、テクストを厳密に読むと、数々の疑問が湧いてくる。たとえば、『アメリカに潰された政治家たち』の冒頭に、3・11以後、国会周辺を取り囲み、マスコミも派手に取り上げた「原発再稼働反対」の「官邸デモ」について書いている。特に「60年安保闘争」との比較の話が出ている。孫崎享は、急速にしぼんで行った「60年安保闘争」を矮小化した上で、今回の「官邸デモ」を高く評価し、この「官邸デモ」の政治的役割に期待している、というようなことを書いている。明らかに時局便乗主義な発言である。「大衆迎合」とも言える大衆運動へのこの過剰な期待・・・。あまりにも、世間知らずの単純素朴な思考ではないか。「反原発デモ」や「官邸デモ」のことを言っているのではない。結果論から言っているのでもない。戦後最大のもり上がりを見せた反政府大衆運動「60年安保闘争」を、無知蒙昧な学生たちによる大衆運動とみなし、それに対して、「反原発デモ」「官邸デモ」を、反政府政治運動として画期的な歴史的意義を有すると過剰に評価する。その単純素朴な思考が問題だと言っているのだ。僕には、「反原発デモ」「官邸デモ」が、歴史的な意義を有する反政府デモかどうかの判定はしかねるが、「60年安保闘争」が、孫崎享の言うように、無知蒙昧な学生たちによる愚かな反政府デモだったとは、とうてい思えない。無知蒙昧な学生たちの中に、若き日の柄谷行人大江健三郎・・・などもいたはずだ。また彼らの背後には、吉本隆明丸山眞男、その他の文化人、思想家、ジャーナリストたちが綺羅星のごとく存在したはずだ。とても無知蒙昧な大衆運動だったとは考えられない。しかし孫崎享は、例によって、ある一つの怪しい文献を鵜呑みにして、「60年安保闘争」は愚かな反政府デモ、大衆運動だったと見做す。それに対して、今、国会周辺を取り囲む「反原発デモ」「官邸デモ」は・・・と書いているというわけだ。この、あまりにも軽薄な二元論的思考を、孫崎は恥じることはないのか。
(続く)


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