文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西尾幹二と柄谷行人(2)。

西尾幹二柄谷行人を比較するのは、僕の勝手な妄想である。とは言っても、それなりに合理的な理由がないわけではない。実は、僕が西尾幹二柄谷行人を比較したくなるのは、二人は、文藝評論家として文壇に登場したのが、はぼ同世代だろうと思うことと、おそらく世代的に、かなり決定的な影響を受けているはずの「江藤淳」に対する認識と評価に微妙な、というか決定的な差異が見られることに、重大な問題が隠されているように思うからだ。ちなみに、柄谷行人は、「江藤淳」に対して批判的なこともたくさん書いたり、発言したりしているが、本質的には「江藤淳」を非常に高く評価している。柄谷行人江藤淳自死直後に書いた「江藤淳追悼文」(「文学界」)に、それははっきり表れている。西尾幹二はどうだろうか。西尾幹二は、内心はともかく、江藤淳が健在だった頃は、ほとんど「江藤淳批判」をやってはこなかったはずである。しかし、江藤淳亡き後、三島由紀夫を高く評価するのと比例して、「江藤淳」を激しく批判し始めた。確かに三島由紀夫事件をめぐる江藤淳小林秀雄の「対立・対談」から始まった江藤淳批判であろうが、そしてそれが現在の保守論壇の「流行思想」になっているからだろうが、西尾幹二江藤淳批判は、底が浅いと思う。そして、三島由紀夫を賛美し、江藤淳を批判・冷笑するのが、現在の保守論壇ステレオタイプ化している思考となっている。僕は、小林秀雄江藤淳も高く評価し、ともに尊敬しているが、三島由紀夫事件を巡って江藤淳小林秀雄が厳しく対立し「対談」(新潮)を読んで、どちらが正しいか、どちらが間違っているかとは考えなかった。

小林 ・・・宣長と徂徠とは見かけはまるで違った仕事をしたのですが、その思想家としての徹底性と純粋性では実によくにた気象をもった人なのだね。そして二人とも外国の人には大変わかりにくい思想家なのだ。日本人には実にわかりやすいものがある。三島君の悲劇も日本にしか起きえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。
江藤 そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものじゃないんですか。
小林 いや、それは違うでしょう。
江藤 じゃなんですか。老年といってあたらなければ、一種の病気でしょう。
小林 あなたは病気というけどな、日本の歴史を病気というか。
江藤 日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。
小林 いやァ、そんなことを言うけどな、それなら吉田松陰は病気か。
江藤 吉田松陰三島由紀夫は違うじゃありませんか。
小林 日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件したってそうです。
(「歴史について」S46.7「諸君」)

この二人の真剣勝負とも思われる対決・対談を読んで、どちらが正しいか、どちらが間違っているかを考えるところに、西尾幹二や現在の保守論壇の面々の思想的劣化は顕著である。おそらく柄谷行人は、そうは考えないだろう。それが「江藤淳追悼号」の文章に典型的に表れていた。江藤淳小林秀雄をもっとも深く理解しているのは誰か。西尾幹二ではない。ちなみに同じ追悼号に西部邁桜井よしこが江藤批判を書いている。西尾幹二西部邁桜井よしこ・・・がともに「江藤淳」を批判していることは、記憶しておいてよい。西尾幹二西部邁桜井よしこの思考は、江藤淳柄谷行人の思考とは、決定的に異なっている。西尾幹二西部邁桜井よしこの思考はイデオロギー的だが、江藤淳柄谷行人の思考はイデオロギー的ではなく「存在論的」だからだ。(続く)
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